第2話 藪の中

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「このリストに載ってる顧客企業のね…ポイントサイトのさ…ログイン履歴を…調べて」
パソコンから目を離さないまま、上山はデスクに積み上がった書類の山をポンと叩いた。
「これ…全部ですか?」
「そう」
ペーパーレスの時代ではあまり見かけなくなった、ものすごい厚みのリストだった。テレマブレインがコールセンターを開設してから今までの、ポイントサービスに加入した全顧客のリストだろう。
「存在しないinfoメールをさ…探して欲しいんだ」
「なんですか?それは」
「うん…実は一件苦情が入ってさ…顧客から」
テレマブレインが勧めるポイントサービスに企業が加入すると、毎月一回、ポイントと交換できる商品のカタログが送られてくる。クライアントのOA機器メーカーから直接届けられるものだが、この顧客は分厚くて場所をとるカタログの発送を止めようとしたのだ。すると、申し込んでもいないポイントサービスに加入させられていることに気がついた。
「申し込んでない?」
八幡の表情が曇る。
「そうなんだよ…で、謝って、すぐポイントサイトの削除申請をしたわけ、クライアントに」
「サービス成約を受付けていない企業を、受付扱いにしていたってことですか?」
「そういうことになるね」
「でも…架電先企業の担当者からメールアドレスをもらえないと、サービス登録には進めないはずですよね」
八幡は納得いかない表情で、山積みされた顧客リストをパラパラとめくった。オペレーション上、こういったエラーは起こり得ないはずなのだ。
テレマブレインにおける、架電からサービス登録までの業務の流れは以下である。
まず、コールスタッフから、コピー機のメンテナンス契約している企業に荷電する。担当者にポイントサービス加入をお勧めし、申し込みを受付けた時点で架電先企業のメールアドレスを取得する。
メールアドレスは専用の用紙に記入し、その用紙をPC入力スタッフに渡す。
リスト化したメールアドレス一覧はチェックプログラムにかけられて、誤入力があった場合はコールスタッフに差し戻される。
チェックをクリアしたアドレスには、それが有効か確認の意味も含めてサンクスメールが送信される。ここで存在しないアドレスにメールが送られると、宛先不明でメールサーバーからエラーメールが返ってくる。
その情報はすぐさまコールスタッフにフィードバックされ、訂正がなされる。完全に有効か確認されたアドレスのみが、クライアントに送られてサービス登録が完了する。
つまり、架電先からメールアドレスを教えてもらえなければポイントサイトには登録できないし、そのメールアドレスが存在しなければサービスの登録は進められない仕組みになっているのだ。
「マーカーした顧客…見てみてよ」

八幡が手に持ったリストには、蛍光マーカーで点々とラインが引いてある。
「まさか、これ…」
「おそらく苦情の電話と同じケースだ。ポイントサイトに一回もログインしてない。自分たちがサービスに登録されているのを知らないんだと思う」
「なにかの間違いじゃ…」
マーカーで引かれたライン…かなりある…それも、ここ一ヶ月に集中している。
八幡は表の縦横に目を走らせる。
オペレーションの網の目をすり抜ける、共通した原因があるはずだ。
登録日付…企業名…所在地…電話番号…メールアドレス…ここ半年のログイン回数…メンテナンス契約の種別…営業担当者名…。
表を横に動いていた八幡の目が引き返す。
…メールアドレス。
今度は目を縦に動かす。
…info…info…info…info…。
「…info」
考えるビジネスマン-1
上山がうなずく。
「“info”なんだ…ログイン回数がゼロの顧客のメールアカウントが…全部」
メールアドレスは、アカウントとドメインで構成されている。
例えば、XXX@xx.tollino-garden.co.jpというメールアドレスがあった場合、@を挟んでXXXがアカウント、xx.tollino-garden.co.jpがドメインである。
ドメインはメールサーバ名、会社名、組織種別、地域コードから構成されているが、ひとつの企業に対してドメインは一種類であることが多い。
アカウントは社内の受信者によって、様々に登録できる。
しかし、代表アドレスを作成する際は、“info”というアカウントが頻繁に用いられる傾向にある。
だから、ポイントサービスの申し込みがなされておらず、メールアドレスを教えてもらえなかった企業でも、アカウントに“info”と付ければ代表のメールアドレスを推定できてしまうのである。
少なくとも、それらしい偽アドレスを作ることはできる。
「それから…最初に苦情があったこのinfoメール…存在してない」
「存在してない?」
「根も歯もない捏造アドレスだってことだよ。故意に作られたものか、記入ミスか知らないけど」
「だって…そしたらサンクスメールでひっかかるでしょう。存在してないアドレスならエラー通知が戻ってくるはずですよ」
「送られてないんだろ…サンクスメールが」
八幡は一月前に起こった、ある事件を思い出す。
メールサーバーのパンクである。
その日は大量の申し込みがとれていた。それ自体は大変めでたいことだ。
ところが…送ったメールの件数があまりに多く、メールサーバーのダウンしたのである。
考えてみれば、前月比にして10倍超のサービス受付がなされていたわけで、当然サンクスメールの量も10倍になるはずである。
従来のメールの送信件数からすれば、このようなリスクは想定外である。
サーバー・ルームはちょっとした混乱状態に陥った。
復旧は速やかになされたが、結局大量のサンクスメールがどこまで送られ、また送られなかったか分からなくなってしまった。
対策会議の席上、上山は一社一社の電話確認を申し出た。
「こうしたリスクを想定できなかった、わが社の責任でもあります」
照間社長は鷹揚に押しとどめる。
「上山さん…当社の業務は囲い込み営業であってね…その業務ために顧客の信用を損ねるというのは…これは本末転倒ですよ」
サンクスメールというのは、要するにサービスの登録確認メールである。電話での受付が成立した時点で本来の業務は完遂している。
これが、テレマブレインの見解であった。
トリノ・ガーデンとしても納得し、万が一トラブルが発生した場合、通報された時点で迅速に対処されることとなったのだが…。
「つまりね…サーバーダウンのときにサンクスメールが送信されていない会社に関してはさ…」
「アドレスに問題があっても、コールスタッフにフィードバックがなされていないわけですね」
上山が深くうなずく。
ここが偽infoメール事件の起点になったのではないか…。
最初に悪意あるコールスタッフがデタラメな“info”メールをつくって、架空のサービス受付を捏造する。本来なら、存在しないアドレスにメールを送ったのでエラーメールが返信されるはずである。しかし、サーバーダウンで登録確認のサンクスメールは送られなかった。当然、エラーメールは帰ってこない。
顧客企業の知らないうちに会員サイトが設置される。
不正を指摘されなかったコールスタッフは味をしめて、たびたび偽“info”メールの作成するようになったのではないか…。こちらのチェック体制を甘く見てしまったのかもしれない。彼らはメールサーバーがダウンしたことを知らない。
この方法が、全コールスタッフに共有されているとしたら…。
『お得なお知らせ』メールなどは定期的に送られるが、以前から利用していたメンテナンス・サービスからの連絡なので気にも留めない企業が多い。知らぬ間にポイントが付くようになって、喜んでいる企業さえあるかもしれない。
その時点でエラーメールが返ってきても、受診するのはクライアントのOA機器メーカーである。メールアドレスを変更する企業もあるから、そのエラーがテレマブレインに通報されることはない。
八幡は青くなった。
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ひょっとしたら、いままでもただの用紙記入ミスとして処理されていた申し込みのなかに、架空申請があったかもしれない…。
「ただの…メールアドレスの記入ミスかもしれないですけど…」
「そうであって欲しいけどね。でも、歩合給を詐取するための意図的な不正かもしれないよ…」
どちらの可能性も否定できなかった。
人間の性悪説を標榜する上山が指摘する。
「存在しないアドレスのアカウントはinfoばかりだ。明らかに意図的な捏造だよね…」
顧客リストを示して、八幡が反論する。
「営業担当の欄を見てください。特定のコールスタッフがやってるわけじゃありません。もし、これが計画的な不正であったとしたらですよ…」
「全コールスタッフが示しあわせて、一斉に不正してることになるな」
「そんな馬鹿なことがあるでしょうか」
八幡は基本的に人間に信頼している。
性善説の論者である。
「とにかく、事件の全容を洗い出そう」
その晩、二人は分厚い顧客リストから、ポイントサイトにログインした履歴のない企業をすべてピックアップした。
翌朝、最初に苦情のあった企業を担当したコールスタッフに聞き取りを行う。
金本浩、70歳を過ぎた高齢スタッフだった。
普段からメールアドレスの記入ミスが多い。この件に関しても本人は悪意を否定した。
「なにしろ1日100件とか、多い時には150件近く荷電しますんでね…。受付けるメールアドレスもやたら“info”が多いでしょう?ぼんやりして記入ミスしてしまったことも…そりゃ、あったかもしれません。…申し訳ないことですが」
金本は素直に頭を下げる。
「今後は気をつけて下さいね」
八幡は注意のみで、この事件を打ち切ろうと考えていた。
この件を深く追求することは、少しも利益にならない。
架空受付の担当者をひとりひとり問い詰めても、金本と同じ言い訳をされたらそれ以上の追求は難しい。メールサーバーのダウンは管理側の責任でもある。
苦情が来たら…架空の受付を行ってしまった顧客に謝って、ポイントサイトを削除して、それでおしまいだ。
だが、これで幕引きする積りが上山にはない。
調査続行を命じると、八幡はげんなりして苦笑いした。
今のところ、苦情が寄せられた『エラー』は金本が担当した一件のみ。
八幡の眼前にハインリッヒのピラミッドが浮かんだ。
1件の重大事故が起こっていれば、その陰には29件の軽微事故が起こっており、さらにその陰には300件のニアミスが隠れている。
仮に、それらすべての怪しげなアドレスを調べ上げられたとしても、その『エラー』が故意であるかどうかは証明のしようがないのだ…。
真実は藪の中である。

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