第4話 見えない病巣(後編)

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「私、持ちかけられたことがあるんです」
聞きたくない…八幡の良心が本能的に拒否した。
「受付件数を水増しする方法を…教えてやろうかって…」
自分の組んだ業務マニュアルに問題があって、そこを改善すれば架空のサービス受付はなくなってゆく。もう、人を疑ってかかるようなイヤな仕事をしなくてもよいのだ…。少し前にそう自分を納得させたばかりだった。
とはいえ…始めた仕事は完了させなければならない。
「誰に…持ちかけられたんですか」
八幡の誠実さが、嫌がる良心を押さえつけて気の進まない質問をさせた。
「それは…あのう…」
正義感から、思い切りよく核心に触れてしまったが…。
正直に答えることは、彼女にとって仲間を売ることでもある。
ハッと冷静に戻ったのだろう…口ごもる松島に自分と同じ種類の良心を見つけて、八幡はうれしくなった。
「あの…無理に答えなくても…大丈夫ですから」
「いえ…ごめんなさい。こっちから気になるようなことを言っておいて…でも…」
松島が受付件数の水増しを持ちかけられたのは、コールスタッフだけで催された酒の席だった。相手も冗談めかしていたし、具体的にどう受付件数を水増しするのか松島は深くたずねることはしなかった。
「むしろ…聞かないでおいた…というか…」
「不正の片棒を担ぐのを回避した…ってコトですかね」
「はい…でも、不正を持ちかけてきたご本人も、実際に手を染めているのかどうかまでは…ただの冗談かもしれないし」
「うーん…しかし、コールスタッフのあいだで不正が行える知識が共有されている可能性は…」
「あるかもしれません。だから、思い切ってお話しを」
…不正があったのか?…ただのエラーか?
金本や松島の場合は、ただのエラーなのかもしれない…。
性格から断定したくはないが、岩波なら不正ぐらいしたっておかしくない。
だが、不正にしろエラーにしろ…現れてくる現象は『架空のinfoメール』。
どうしたらいいのか…おなじ瑕疵であっても原因や動機の差によって、トリノ・ガーデンとしての対応は天と地ほども違ってしまう。
コールスタッフを注意するだけでいいのか?…意図的な不正ならその程度ではおさまるまい。
架空受付した者は全員処罰すればいいのか?…それでは凡ミスしただけのスタッフは巻き添えを食ってしまう。コールセンターはバイトでまわっているのだ。士気が下がれば熟練スタッフだって簡単に辞めてしまうだろう。
舵の切りかたひとつで営業成績にもひびけば、クライアントの信用にも関わってくる。
八幡の目は飲みかけのビールを通り越して、どこか遠くを見つめていた。
「こういう問題は…」
「え…」
「無くならないのかもしれませんね」
八幡が目線を上げると、松島はあきらめたように笑っている。
「それじゃ…困るんですよ」
「八幡さんのお立場はわかるんですよ。でも…コールスタッフの人たちはみな…どうしようもない『底辺感』を抱えて生きていると思うんです」
「てーへんかん…?ですか」
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残酷なハナシなんですけど…と、松島は前置きする。
コールスタッフたちは、自分の将来はもうないと思っている者が多い。
自分には学歴も忍耐力も才能もないということを、今までの人生でイヤというほど思い知らされているのだ。『若さ』まで失ってしまった者は、なおさらヤケになっている。
松島はまだいい。
彼女には鍼灸師の資格をとろうという将来の目標があり、そのために生きている。しかし、コールスタッフの多くは自信と人生の目標を同時に見失っている。
目の前に迫ってくる日常を、どうにかやり過ごして生きている者ばかりなのだ。
今回のプロジェクトが終われば、クライアントが継続して雇ってくれるかもわからない。
第一バイトだ。
すぐ辞めさせられるかもしれないし、辞めてしまうかもしれない。
誠心誠意、仕事に取り組めと言われても限界がある。
スクリプトに従ってしゃべっていると、自分は機械と変わらないんじゃないかと思う。臨機応変に対応してサービスの申し込みを受付けても、ホメてくれるものなど誰もいない。一件分の歩合給が上乗せされるだけだ。
むしろ個性を発揮しようとして長話になどなれば、リーダーとSVに追い立てられ皆の前でハッキリと怒られる。
名指しで…プライドを傷つけられるかたちで。
こんな職場で一生懸命がんばってもつまらない…みんなそう思っている。
「それが問題を引き起こしていると?」
「そうじゃないかなって…。毎日一緒に働いていますからわかるんです…なんとなく」
松島はひとしきりしゃべると、乾いたブラウスの左袖をさっと下ろした。
テーブルの下に隠れていた左手がグラスをつかみ、右手が箸を握る。
刺身の盛り合わせが運ばれてきて、準備万端である。
「いただきまーす」
松島は幸せそうにまぐろやカンパチやサーモンを平らげていく。
人格といい能力といい…申しぶんのないこのお嬢さんがどうしてこんな『底辺』で働いているのか。
松島が干したグラスに八幡はおかわりを注ぐ。と…ボタンをしめ忘れた袖口から、彼女の手首をジグザグに横切ってならぶ無数の傷跡が見えた。
ああ、そうか…。
引きこもってたんだよな…この人。
彼女だってワケありなのだ…。理想的に見える人格も、ひとり部屋で思い悩んだ末にたどりついた境地なのかもしれない。
今だって相当に無理しているのかも…。
松島も疑ってかかるべきなのか?彼女にも動機になりうる過去がある。
八幡は思考の限界に達した。
偽“info”メールは一個の問題に見えて、実は色々な原因がひとつの姿をとっているだけなのかもしれない。
それはコールスタッフの学歴コンプレックスなのかもしれないし、将来が見えない不安なのかもしれない。自分の夢が叶えられるだけの才能がないことなのかもしれないし、ひとつの会社に長く勤められないトラウマなのかもしれない。
…不可能だな。
そんなバラバラの動機に個々で対処することなどできない。
松島の傷跡だらけの手首を見ながら八幡が考えていると、袖口のボタンがさっと閉じられた。
「あ…あの…すいません」
「いえ…別に隠してるわけじゃないんです。ただ、まわりに気を遣わせちゃうので…」
気まずい沈黙が流れる。
「私も…疑われましたよね、今ので」
「いや、そんなことは…。ただ、人にはそれぞれ事情があるんだ…ということは分かりました」
「………」
「そのすべてを解決しなければ不正を根絶できないのであれば…確かにそんなことは不可能だな…ってことも」
再びの沈黙。
いかん…会話の目先を変えなければ…。
八幡が次の話題を探していると、松島が口火を切った。
「ツボ…に似ているかもしれませんね」
…ツボ?
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話題の飛躍に、八幡はついていくことができない。
「どんなに解剖して探しても、ツボに当たる器官って人体からは発見できないんですって。知ってました!?」
「あ…いやあ、そのへんは専門外なんで…」
「でも、そこには重要な血管が走っています。神経も通っています。そのどれかにトラブルが発生していたり…最悪、全部がトラブっているかもしれないですけど…それでも本人に認識される問題はたったひとつの症状で…。例えばそれは肩こりであったりします」
松島が考えをまとめながら矢つぎ早にしゃべる。気まずい沈黙を破るための苦し紛れだったのかもしれない…。思いついた端から破綻しないように、必死に言葉をならべているように見える。
「鍼灸師にできることは、そのツボに一本の鍼を刺すことだけです。でも…だけど、それだけで複数の原因にアプローチできます。詰まっていた血管が開き、神経を圧迫していた筋肉がゆるむ」
「治っちゃうんだ?…肩こり」
「はい。血管が詰まってるから筋肉が強ばるのか、筋肉が強ばるから神経が緊張するのか、その逆の順番かもしれませんし…そのへんは原因がからまりあってるんでよく解らないですけど」
「血管が詰まってるか、筋肉が強ばってるか、神経が緊張してるのか…本人も治療者もわからないのに…治る?」
「はい」
原因がいくつもあって、それがなんなのか明確につかんでもいないのに問題が解決する…?そんなことあるのか?
「的確な位置と刺す深さを間違わなければ…鍼イッパツです」
鍼…イッパツ…。
「だから…その…なんと言ったらいいか…不正を起こした人間を、どうか責めないであげてください。あの…私を弁護したいんじゃないですよ。その人を探し出して罰しても、たぶん問題は解決しません。別の原因で同じことをしている人間は他にもたくさんいるからです。ひとつの病巣だけにこだわれば、ほかの病巣を見逃してしまうことにもなりかねません。それに…万が一、鍼を打つ位置や深さを間違えたら…」
「悪化しちゃう…?」
「最悪そうなります。危険です。やめたほうがいいです」
納得のいく結論にたどりついたのか、松島のおしゃべりはぴたりと止んだ。
普段は見られない前のめりの松島に、八幡は圧倒されていた。
まじめだ…。その融通の利かない性格が、彼女を数年間も孤室に押し込めてしまったのかもしれない。
「でも、じゃあ…どうしたらいいのかな」
八幡に食ってかからんばかりの自分に気がついたのか、松島は意識的に穏やかな表情を取りつくろった。
「そうですね…完全に治療するってことは、やっぱり無理じゃないでしょうか」
「うーん」
「でも…ここの引っ掛かりをとってあげれば、せめて症状が楽になるくらいの…そういうツボなら、あるかもしれませんね」
苦し紛れから押しだされた松島の曖昧な気づきは、八幡にひとつのヒントをもたらそうとしていた。

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