第6話 理想の人格 エンディング

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前日の息詰まる議論から、そのままマニュアルの改定へ。
昼頃になって、オペレーションルームから上山が出てきた。あとから八幡が続く。二人とも目の焦点が定まっていない。
防音の頑丈なドアが閉まると、オートロックがかかるジーッという音がして…それから、二人は突然笑い出した。
「あははは…天才でしょう、社長…ははは」
「いやいや…あははは…八幡君こそなかなか思いつかないよ、アレは…」
上山と八幡は廊下の先のエレベーターに向かって、大笑いしながら歩いていく。するとエレベータのドアが開いて松島が出勤してきた。この日は遅番で、彼女にとって少し憂鬱な日だ。遅くまで寝ていられるのはいいが退勤時間は22時である。はぁ…とタメ息をついて顔を上げると、テンション高くガハハと笑う目のうつろな二人の男たちが、勢いにまかせてエレベーターに乗り込んできた。
驚いて降りるタイミングを逸する。
二人の男はエレベータのドアの左右に陣取ると、笑いながらコンソールの『閉まる』ボタンを連打し始めた。松島は壁際に立って呆然とするしかない。
ドアが閉まり、エレベーターは一階に向かって動き出す。その間も、男たちの言葉のやりとりはとめどもなく続く。「いやぁ、インセンティブがあまりにも…」とか「スクリプトにもっと柔軟性を…」とか…落ち着いて聞いていると松島にも言っていることの半分ぐらいは理解できた。
チーンというブザーが鳴って、ドアーが開く。
上山が先に降り、八幡がそれに従う。
「あの…」
「あ…はい」
松島が八幡を呼び止めると、いま気がついたといったように八幡が振り返った。
「おはようございます」
実にわかりやすい『しまった!』という顔をして、八幡は挨拶をかえす。
「あー…これは失礼しました。おはようございます」
「昨日…帰ってないんですか?」
「え…?」
「ネクタイ、同じだから…」
「あ…ええ、そうなんですよ。これから朝メシ」
「朝メシって…もう、お昼過ぎですけど…」
「いやあ、昨日の昼から食ってないから…もう何メシかわからないけど」
「やっぱり、あれなんですか?例のinfoメールの件で…?」
「うん、まあ…そういうことです」
「すいません、あの…おとといの晩はお酒の勢いで…なんか差し出がましいこと言っちゃったかなぁ…と」
「いやいや!もう、超参考になりましたよ!ね、社長!」
上山は両手を上げると、頭の上で大きな“マル”を作って見せた。
普段見られない上山の姿に、松島は思わず笑いそうになる。
「笑って…いいんですかね」
「いいですよ、もうジャンジャン笑っちゃって下さい」
「上山さんって、面白い人だったんですね」
「え…いま知ったんですか?」
「だって、お話しする機会ないですもん」
「ああ…そうか…。そうですよね」
「コールスタッフのあいだじゃ、上山さんメチャクチャ恐いってことになってますから」
「うーん…それも間違ってないけど。まあ…もうすぐわかってもらえると思いますよ、コールスタッフの皆さんにも」
「もうすぐ…ですか?」
「もうすぐです。あんな面白い人、いませんから」
「八幡くん、あんまり引きとめちゃ…松島さん、遅刻しちゃうよ」
八幡はアッという顔をすると、腕時計を見た。
「あ…ヤバい!ごめんなさい、行って行って!」
松島が押していた『開く』ボタンから指を離す。閉じかけのドアの隙間から、ふたたび頭の上でマルを作る上山が見えた。今度は松島も遠慮なく笑う。ピタリとドアが閉じると、男たちはまたガハハと笑って丸一日ぶりの食事を食べに出かけた。

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その日は、新しい業務マニュアルとスクリプト導入の稟議を提出して早退。翌日、上山と八幡は代休をとった。その間にテレマブレインでは新しいオペレーションに関する審議がなされ、社長以下の決済がおりる。このあたりのスピード感がベンチャー企業の強みだろう。
翌週のあたまには、新体制での業務が実施された。
コールスタッフに新しい業務マニュアルとスクリプトが配られる。
インセンティブに関しては八幡の意見を採用し、スタッフの再教育に関しては、KPIによる評価とフィードバックをさらに徹底して行うというかたちに落ち着いていた。悪く言えばまだら、よく言えばいいとこどりのオペレーションである。これが吉と出るか凶と出るか…。
まず、受付獲得率の悪いスタッフには再度の入念なロールプレイが行われた。いま一度、徹底してオペレーションを叩き込む。その一方で、SVやリーダーには決して大勢の目の前でコールスタッフを叱責しないよう言い含めた。
このあたりは上山の提案で、確実に効果のでる手堅い手法だった。メールアドレスの記入ミスのようなヒューマン・エラーを防ぐとともに、そのミスによる無用な心的ストレスを防ぐ。
まず、これは当然のことだが…ミスが起こらなければ使用者側としてなにも言うことはない。失敗を指摘されることもないから、コールスタッフにもストレスは生じない。避けられる摩擦は避けておくことが肝要である。
そうしてエラーの発生をしぼり込む一方で、人的ミスは必ず起こる。リーダーやSVの指導は必ず必要になる。その時にコールスタッフのプライドを傷つけたり、社会的なコンプレックスを刺激すれば、その反動として不正に及ぶ可能性がある。それによって架空受付が増えたら、その指導は結局なんの意味もなかったことになる。
実際、効果は現れているように見えた。リーダーとSVが発言しなければいけないような局面は明らかに減ったし、それに合わせてオペレーションルームのピリピリと気づかわしい雰囲気は消えていった。
特設オフィスに向かうために、頻繁にオペレーションルームを横切る八幡は特にその変化を感じていた。コールスタッッフたちの表情から強張りが消えて、こころなしか笑顔も自然に見える。以前は監視されていることを意識して、無理やり口角を引き上げた不気味な笑顔だった。八幡にはそう思えた。
大きな段ボール箱を抱えて、この日も彼はオペレーションルームを横切っていく。
「休憩入ります」
パンクスの岩波章人が立ち上がる。
以前のようなダラリとした口調ではない。表情もかつて八幡が可哀想だと感じたような極端な無表情ではない。
特設オフィスのドア前に着くと八幡は段ボール箱を下ろす。近いところに座っている松島が会釈して…それから、八幡の足元の段ボール箱に視線を移した。松島が声を出さずに笑う。
段ボール箱の側面には、赤い文字で威勢よく商品名がプリントされていた。
『蒲焼さん太郎 60袋×10パック』
今回の改定オペレーションのコア…問題を引き起こしている不明瞭な複数の原因に突き立てるべく用意された、一本の鍼。
空腹と徹夜によるハイテンションが上山と八幡にもたらした、インセンティブの切り札である。

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数日前…。
「サービス受付一件ごとに、蒲焼きさん太郎一枚を支給します」
朝の申し送りで上山がそう言ったとき、オペレーションルームには小さなどよめきが起こった。
…ふざけてるのか?…笑えばいいのか?…怒っていいのか?
コールスタッフたちは判断がつきかねていた。
…それは確かに、自分たちは社会の最底辺かもしれない。しかし、いい大人に対して成功報酬が蒲焼きさん太郎?…自分たちはこのコールセンターに仕事しに来ているんだ。…馬鹿にしやがって。
様々な思惑が、無言の彼らのあいだを流れているのがわかった。
だが、ここに問題を提起することが上山と八幡の狙いである。
『仕事』とはなにか?
コールスタッフたちの多くが、この疑問に答えが出ていないのだ。
上山や八幡にとって、仕事とはすればするだけ『良くなるもの』である。
収入が手に入り、技術が高まり、社会的な立場が確立する…もちろん、時に辛い経験と引き換えにであるが…。
世間のほとんどの人間がこれを無意識に納得するか、もしくはあきらめている。
だから特段考えないし、考えるだけ無駄ということもある。
考えたって、資本主義もこの世の仕組みも変わらないのだ。ならばより高い収入、よりよい待遇を求めて黙って働いたほうがエネルギーの節約にもなるし、おおくの人々と対立せずに済む。
ところが『最底辺である彼ら』は考えるのだ。なぜ自分たちは報われないのか…律儀に考えるのである。
彼らの多くにとって、仕事とはすればするだけ『悪くなるもの』である。
懸命に仕事したからといって、さして多くの収入が得られるわけでもない。社会的に評価される技術が身につくわけでもない。いい年をしてバイトだパートだと職業蔑視の対象となり、人に話すこともはばかられる。もっと大きな視点で見れば、彼らが働けば働くほど社会の上層部にいる人間は肥え太り、より少ない収入しか得られない彼らの立場は相対的に下落する。
彼らにとって仕事とは『できればしないほうが良いもの』であり、『すればするほど損なこと』なのである。
だから…。
「仕事じゃなくしちゃえばいいんじゃないの?」
業務マニュアルとスクリプトの改定が行われた…あの日。日付が変わり夜が明けて、ふたたび太陽が高くなる頃…上山が不意に口走った。
「あはは…いいっすね。それいいっすよ、社長」
眠気とそれを打ち消すための大量の甘い缶コーヒーのせいで、妙に昂揚した八幡が笑いながら同意した。
「ゲームですよ!ゲームにしちゃえばいいんじゃないですかね?」
「ああ…頑張るよね、ゲームだったら。仕事が嫌いな人も頑張るよ」
「人生ゲームなんか、オモチャのお金を奪い合ってあんなに盛り上がるんですから」
「だから、まあ…下手にお金なんか配らないほうがいいのかもしれないな。彼らにとって『お金』ってのはすなわち『仕事』でさ…仕事がトラウマになっちゃってるわけだから…コールスタッフの皆さんは」
「蒲焼きさん太郎…なんてどうですかね?」
「は?」
「オモチャのお金なら頑張るわけですよね、人生ゲームみたいに。あれ、お金っぽいじゃないですか。ペラペラで四角いし」
「いやぁ…短絡的じゃない?」
「一種の皮肉にもなるんじゃないですかね?お金をインセンティブにするっていう仕組み自体をバカにする事にもなるわけでしょ?少なくとも、俺たちはあんたたちの気持ちはわかってるよぉ…っていう意思表示になるわけです。イヤだよね?お金で評価されるなんて…って」
「共感を呼ぶかしら…」
「ウケますよ!絶対にウケますって!」
「やる?あはは…本気でやる?」
大量の甘いコーヒーと眠気で、やはり昂揚していた上山も笑い始めた。
出勤してきた松島と二人がエレベーターで鉢合わせたのは、そのすぐあとだった…。

前日の受付獲得数に従って、八幡が蒲焼さん太郎を配る。
複雑な表情で受け取るコールスタッフたちの中に、ちらほらと嬉しそうにする人々が現れ始めた。成績の良い松島の番になると、蒲焼さん太郎の分厚い束が輪ゴムで束ねて渡される。周囲からどよめきが起こった。
申し送りが終了し、皆がそれぞれのデスクへと散っていく。
松島が八幡に声をかけてきた。
「八幡さん」
「あ…はい」
「面白い人ですね、上山さんって」
「え…ああ」
「きっと、みんなわかったと思います」
そう言って笑うと、松島は自分の席に戻っていった。
蒲焼さん太郎…俺なんだけどなぁ…考えたの。
八幡は手柄を取られたように気分になって、苦笑いした。
コンスタントに受付獲得数が多い松島の前には、間もなく蒲焼さん太郎のタワーができた。
「食べきれないから」
と、それを配り歩く彼女の姿に笑いと拍手が起きる。上山と八幡がこのコールセンターにやって来て以来、初めて目にした光景だった。
コールセンターは、単なるつまらない職場ではなくなり始めていた。
『仕事感』を薄める施策はほかにも行われた。
定期的な休憩を増やしたり、運動の時間を確保したり、飴を配ったり…すると、オペレーションルームの雰囲気は一層ゆるんだ。倦怠感とは違った意味でゆるんでいる。リラックスといえる状態である。
にもかかわらず、その月の受付件数はトリノ・ガーデンが達成した初月のピークをさらにしのいだ。
『仕事感』を薄め、弛緩した状態でなされたオペレーションがこのような結果を生んだことにテレマブレイン自身も衝撃を受けていた。詳細にわたる業務マニュアルとスクリプトで、コールスタッフを縛ることが正しいと信じていたのだから無理もない。
営業成績が上昇を始めると軌を一にして、存在しない“info”メールも姿を消していった。以前よりメールアドレスの一覧チェックを入念にしたにもかかわらず、用紙の誤記入が発見されることもいまや稀である。
架空申請に対する厳しい罰則も設けたことも、おそらく一役買っている。
性悪説と性善説のポリシー・ミックスが成功を収めたのである。
コールスタッフたちは、自ら行動を変えた。
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人間の能力に依ろうとすればある程度のオペレーションのブレ、イレギュラーは引き受けざるを得ない。そのブレやイレギュラーは従業員それぞれの多様な経験や価値観に基づいていて、一個一個の人間の『仕事観』や『人格』を改造しようとしても、そんなことをやりおおせる企業はこの地上には存在しない。
機械的なインセンティブのあり方を改めたテレマブレインは、人間のイレギュラーを受け入れた。その瞬間、労働する人間の質を選ばない、あらゆる個性を受け入れる持続可能なシステムが成立した。
テレマブレインのコールスタッフたちは、スクリプトが体現する理想の営業人格に寄り添いながら自由度も失っていない。言い回し、ニュアンス、話す速度、抑揚…マニュアルの許す範囲でくり返しスクリプトのアレンジを行っている。
営業代行を生業とする他社の追随を許さない、みずからオペレーションを上書きし、好成績を維持し続ける…理想的な営業システムが誕生したのである。
クライアントのOA機器メーカーの囲い込みプロジェクトは、数次にわたって企画された。テレマブレインは同業の大手二社にプレゼンで何度か敗れ、仕事を奪われはしたものの、営業成績は群を抜いて優秀であった。
ついに、二社はこの囲い込み営業の入札から撤退した。そして、次のような問い合わせが二社よりテレマブレインになされるに至ったのである。
『どのようなオペレーションを実施すれば、このような営業成績が達成できるのか。ぜひとも教えを乞いたい』
テレマブレインのinfoアカウントに届いたこのメールを見て、上山は申し訳なさそうに笑った。
真似などできるはずがない…。
従業員の『仕事感』を薄めるために『蒲焼さん太郎』を配布するなんて施策は、硬直化した大手にはできないだろう。
休憩中、蒲焼さん太郎を食べつつ談笑し合うコールスタッフたち…この状態がオペレーショナル・エクセレンスだということに、誰も気づいていない。

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