第1話 存在しない“info”メール

kyaku「さ…3000社…!?」
テレマブレイン株式会社社長、照間学は老眼鏡をかけなおすと再び報告書に目を戻す。
「正確には3521社です、社長」
八幡が誇らしげに胸を張る。その後ろで、トリノ・ガーデンの上山一郎は謙遜気味に笑っている。
サービス成約社数、月間3521件。
テレマブレインがこの8年間、必死に業務改善を行って月間300件ほどの営業成績である。当社が参入する以前には、この事業は2000名規模の従業員を動員する大プロジェクトだった。それでも営業成績は月間300件程度。
これと同程度の成績を数十人規模で達成したのだと、照間社長は胸を張っていたのである。
ところが…トリノ・ガーデンの叩き出した数字はそれをゆうに一桁上まわっている。本来よろんでいい結果である…が、あまりの非現実的な数字に社長は言葉を失ってしまった。
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テレマブレイン株式会社…かつて広告代理店の営業マンであった照間社長が旗揚げしたベンチャー企業である。営業代行のアウトソーシング需要にいち早く目をつけ、IT化により人件費を抑えた少数精鋭主義で業績を伸ばしてきた。
ここ10年ほどは、大手OA機器メーカーからの大口契約を連続して受注することに成功している。莫大な初期投資をして都内にコールセンターを設置し、社是を破ってまで大幅な人員増も行った。社運をかけた一大プロジェクトである。
得意先企業の囲い込み…それが、テレマブレインの受託した業務内容だった。
OA機器のメンテナンス業界は競争が激しい。トナーのようなサプライを提供したり、不具合に対応したりといった通りいっぺんの業務ではもはや顧客を引き止めることはできない。サービス内容が他社に劣れば、契約を切られて乗り換えられてしまうのは日常茶飯事である。
そうしたことが起こらないよう、他社より有利なサービスを次々と提供していく。それが『囲い込み』という企業戦略である。
このOA機器メーカーは、コピー機のメンテナンスにポイントを付加して得意先の流出を食い止めようとしてきた。ラベルプリンターやスティックメモリーなど自社ブランドのステーショナリーと交換できて、値引換算するとかなりお得な内容である。
しかし、メーカーの性格が強い同社は他社に比べて営業力が弱く、メンテナンス部門の顧客流出は年々深刻なものになっていた。
そこで、ポイント・サービスの入会促進を外部業者に委託することにしたのである。
テレマブレインは、この仕事を三者競合のプレゼンテーションで勝ち取っていた。他の二社はテレマブレインよりも大手の営業代行企業である。長いこと、二社だけが受注を奪いあう寡占状態が続いていた。
テレマブレインは、二社で分け合っていたこの果実を突如横から現れてさらったのである。新参者に大口の仕事を奪われた二社の怒りはすさまじく…テレマブレインがしくじるのを虎視眈々と待ち続けている。
もっとも寡占が続いた弊害で、二社はなれ合いの関係にあった。受注価格に関しても談合が噂されていたし、サービス内容も年々努力が見られなくなってきていた。メーカーとして、そこに喝を入れたい思いもあっただろう。
一方、新規参入に成功したテレマブレインも自らが設定したハードルに苦しんでいた。大手二社の猛追が始まり、契約更新が行われるたびに厳しい営業目標を掲げざるを得なくなる。しかも、ノウハウがないゼロからのスタートである。
ついに、本年度はサービス成約社数の目標達成が危ぶまれるまでになった。
クライアントとの信頼関係が揺らげば、契約の更新は覚つかない。大手二社はすぐに戻ってきてシェア奪回を図るはずだ。受注に失敗すれば、コールセンターの設置にかかった莫大な初期投資は回収の目処すらつかなくなる。
そこで、オペレーションの生産性向上に定評のあったトリノ・ガーデンに声がかけられたのである。
成果は現れた。それもコンサル開始からひと月目でいきなり。
なにしろ前月比で10倍以上ものサービス成約を受付けたのだ。
八幡の表情も明るかった。
数分前までは…。
エレベーターのドアが開く。八幡はコールセンターの廊下を足早に歩き始めた。眉間にはシワが寄っている。
退社して駅に向かおうとした矢先に、上山からの電話で呼び戻されたのだ。
あまりにも業務が順調で、このところ残業もなく帰れていたからこうしたイレギュラーが少し不快に感じる。
そして不安なのは、これが上山からの呼び出しだということだ。
それも緊急の…。
イヤな予感がした…。
絶対に厄介ごとだ。

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オペレーションルームのドア前で立ち止まる。
ICリーダーにカードキーをかざして、八幡はそっとドアを押し開ける。
防音された部屋の内側から、コールスタッフたちのセールストークが一斉に流れ出してきた。
オペレーションルームは広い。八幡は忍び足で横切る。
長机のうえにパソコンが数台設置されていて、その前にコールスタッフがすわっている。
その机が向かいあわされて“島”を形成し、その島をSVと呼ばれるスタッフが管理している。SVはスーパーバイザーの略だ。
さらにその上にリーダーという役職のスタッフがいて、SVを統括している。
八幡はリーダーに頭をさげると、島と島の間を縫って歩く。
トリノ・ガーデンの特設オフィスはその向こうにあり、上山も八幡もそこに詰めている。
なんだって、こんな気遣わしい場所にオフィスを設置したんだろう。
コールスタッフに接し、オペレーションに参加し、業務を管理するにはこれ以上の場所はない。わかってはいるが…。
八幡は心の中でぼやく。
しかし…コールスタッフたちの誠実そうで丁寧なトークと、外見とのギャップにはいまだ慣れない。
電話での業務なので、服装はカジュアルOK。髪色も化粧も自由。
だから、そういった制限を嫌う人々が集まる。
極端な金髪、ピアスだらけのパンクスなど点々と目立つ。
自称ミュージシャンや声優志望、七十代の高齢者など個性的な人々も混じっている。人件費を抑えるために全員がアルバイトで、どちらかといえば職場的な束縛に馴染めない人が多い。
電話を受けた企業の担当者は、スーツを着たサラリーマンやOLがかけてきていると想像するのであろうが…実態は大きく違う。
こうした個性的な人々をどのように管理するかが、テレマブレインとしても悩みの種だった。
「休憩入ります」
パンクスの岩波章人が立ち上がる。
電話口の誠実そうなトークとは違う、ダラリとした口調だった。
目も光を失い、極端な無表情だ。
オペレーションルームの外では、コールスタッフの表情までモニタリングしている。バイトスタッフたちも、それがわかっているから例え電話先の相手から見えなくても笑顔を崩すことはない。
表情は本人の評価にフィードバックされ、結局は給料に響く。
愛想を使い果たした岩波を見て、八幡は少し可哀想な気がした。
コールスタッフの業務は、用意されたリストに載っている企業に片っ端から『荷電』すること。機械的な仕事である。
『荷電』とは電話営業をかけることを指す業界用語で、荷電中の受け答えはスクリプトというお手本に沿ってなされる。そのフローチャートから外れるようなやりとりはほとんどない。
荷電開始から終了まで、彼らの言動は隙間なく決まりごとに支配されていた。
テレマブレインはコールスタッフから自由意志を奪うことによって、この個性的な面々を管理していたのである。
しかし、そのことが思わぬ副作用を生んでいた。
トリノ・ガーデンが関わる前、オペレーションルームには倦怠感が満ちていた。
スクリプトと監視に縛られた仕事は機械的で、単調になりがちである。
インセンティブとして、成約獲得数によって増える歩合給があるが「金をくれるから…まあ、頑張る」というネガティブな本音が、スタッフたちの態度からにじみ出ていた。
社会的な成功体験の少ない彼らは、たまに入ってくる歩合給を『ラッキー』としか思っていなかった。努力の末、研鑽を積んだ末の好結果だとは思えないのである。
事実、彼らの裁量で努力できる内容はほとんどなく、スクリプトを間違いなく覚えることだけが許された行動だった。そして、その行動がサービス受付けを多く獲得する方法だということを、当の彼らが信じていなかった。
上山は手始めにKPIによる評価を行い、成績の悪いものには細かなフィードバックと再教育をほどこした。
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KPIとはKey Performance Indicatorsの略である。定量的計測の難しい指標を定量化して評価する手法だ。例えば「言葉遣い」、「正確さ」、「丁寧さ」…などを5段階で表す。岩波章人でいえば、言葉遣い3、正確さ2、丁寧さ2…と評価されている。カメラでチェックした表情も評価の対象となった。以前は参考程度に記録されており、活用がなされていなかった情報だ。
評価に基づく指導が本格化すると、成約の受付数はすぐに増加をはじめた。個々の歩合給の積算は跳ね上がり、ほぼすべてのバイトスタッフが時給を大きく上まわる給料を手にすることが確実となった。ちょっとしたボーナスである。
スクリプトを忠実になぞることが、給料のアップにつながる…。
彼らが社会のなかで、はじめてインセンティブを手にした瞬間であったかもしれない。
オペレーションルームは、静かな高揚感に包まれた。
好循環が生まれれば、もう放っておいても営業成績は伸びる。
こうして、わずかひと月のあいだにコールスタッフの就業姿勢は劇的に変化した。特に再教育によりスクリプトの抜け、間違いは激減。前月の営業成績を大きく凌いだ。
八幡が特設オフィスの前にたどり着く。
一番近いところに座っている松島幸絵が、八幡に軽く会釈した。
八幡はデレッと笑って会釈を返す。
トークの誠実さと外見にギャップがないのは、この松島くらいだろう。
KPIの評価も高い。
パソコンに目を戻して業務を続ける松島を、八幡はしばしのあいだ眺める。
数年前まで自宅に引きこもっていたのだそうだ。あのハキハキした電話対応を見ていると、とてもそんなふうには見えない。
手に職をつけるために、鍼灸の学校に通っているそうだが…まあ、努力家の見本のような人だ。
喫煙所から帰ってきた岩波と松島を、八幡はつい見比べてしまう。
本当に同じ職場で、同じ仕事をしている人たちなのだろうか…。
見つめられて不思議そうな顔をする岩波に背を向けて、八幡は特設オフィスのドアを開いた。
「お呼びですか」
「ああ、八幡くん…悪いね、帰りがけにさ」
「いえ…」
デスクに積み上がった書類の山が目に入る。上山はノートパソコンから目を離さない。
「まあ、座って」
これは長くなるな…。
八幡は手近の椅子を引き寄せて腰を下ろす。
「このリストに載ってる顧客企業のね…ポイントサイトのさ…ログイン履歴を…調べて」
「これ…全部ですか?」
「そう」
嫌な予感的中…。
「存在しないinfoメールをさ…探して欲しいんだ」
この瞬間、八幡の終電での帰宅が決定した。
そして、これがトリノ・ガーデンに久々に訪れた平和な日々の終わりであることを…八幡は肌で感じ取っていた。

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