第2話 OBoetakotowo Tsutaeru〜オボエタコトヲ ツタエル〜

innphoto_ryokanshibaya04旅荘三ツ和…金沢駅徒歩10分圏内に位置する温泉宿。本件のクライアント、井出社長が経営する人気旅館だ。
コンパクトな建物の中に詰め込まれた宿泊施設、温泉、レストラン、土産物屋、カフェ。すべてのセクションは顧客の便利を考えてレイアウトされ、希望を汲みとったコンテンツで満たされている。都内で仕事が終わってからでもチェックイン可能な宿泊プラン、それぞれの個室に設置された露天風呂、地産地消につらぬかれた山海の珍味、温泉水で淹れたコーヒーを中心とした個性的なカフェメニュー。旅荘三ツ和の経営努力は敬意を払ってよいものに思えた。
…その経営努力が空回りをしていなければ。

館内のレストラン『Oran Manma』の個室に通される。座卓を挟んで井出社長と差し向かいに座ると、すぐに作務衣を着たウェイトレスが水を運んできた。
彼女は井出社長に目礼すると、こちらにもニコリと微笑んでくれた。

「オラン・マンマにようこそ、お客様。ただいまメニューをお持ち致します」

…お客様。
ウェイトレスが丁寧にグラスを置く。と、井出社長が指を二本にゅっと立てた。
「UTAGEコースをふたつ。上山さん、いけるクチですか?」
井出社長は口元でおちょこを傾ける仕草をする。
「あ、いや…まだ日が高いですから」
井出社長ははっきりと残念そうな顔をした。
「うちは北陸の蔵を中心にいい酒を入れてますから。そうだ、自慢のオリジナルラベルを…」
「あ、いや…ほんとに…」
結局、井出社長に押し切られてしまった。…まあ、内心は飲みたい気持ちもあったからいいのだけど。
「UTAGEコースふたつと清酒MITSUWAを二合でございますね。少々お待ちください」
愛想よく笑うと、ウェイトレスはふたたび襖の向こうに消えた。
「今日は三ツ和の誇る地産メニューのフルコースを味わって帰って下さい。着目して頂きたいのは白山連峰の伏流水で育てたマスのお造りで…これがまた…」
「お客様…」
「え…?」
…井出社長の解説をさえぎってしまった。悪い癖だ。考え込むと思ったことが口をついて出てきてしまう。
「この宿では、お客様のことを『お客様』とお呼びするんですね」
「え…ええ、それは…当然、お客様ですから」
「それは帳場でもカフェでも、中居さんも板前さんも…井出社長もみなさん同じなんですか?」
「ええ…そうですね」
井出社長は不思議な顔をしてこちらを見ている。まずいな…早くフォローしなくては。
しかし…なんだろう…この奇妙なひっかかり。言葉にもできないほど小さな…でも、決して見逃してはいけない違和感…。
慌ててなにか取り繕おうとした矢先、ウェイトレスが地酒をかかえて現れた。グッドタイミングだ。
取っ手のついた広口の器になみなみと酒が注がれる。それを切り子のぐい呑みに移して頂く。
「うまい…」
お世辞ではなかった。仕事柄、試飲会やテイスティングなんかにもよく足を運ぶから、酒の味はわかるほうだと思っている。なかでもこの酒は上位に入るだろう。忘れてはいけないはずのあの違和感が、酒のうまさで一瞬かすむ。いかん…。
井出社長はこちらを見て「うまい?そうでしょう」と笑っている。すると、UTAGEコースの最初の一品が運ばれてきた。黒漆のトレイをささげ持つウェイトレスの後ろから、なにやら強面の男が一人ついてくる。
「板長の倉田君です」
井出社長が紹介すると、板長は深々と頭をさげた。
「三ツ和のオリジナルラベルはいかがですか?」
板長はフワリと笑ってたずねる。とても感じがいい。ぱっと見た印象からは想像もつかない愛嬌のある笑顔だ。
「とても美味しいです」
「ありがとうございます。続けて先付の料理を召し上がってください」

ディナーイメージ
ウェイトレスが彩り鮮やかな磁器を卓上にならべる。蓮根の蒸し物、金沢春菊の白和え、くるみの佃煮…地元石川県の珍味ばかりだ。どれどれと箸を伸ばそうとしたその時、「失礼します!」という声とともに襖が開いた。
元気のいい作務衣姿の女性従業員が部屋に飛び込んでくる。
「ああ…カフェと土産物屋を担当している桃山君です」
「桃山です!よろしくおねがいします!」
桃山は正座をすると勢いよく頭をさげた。こちらも頭をさげる。すると、「失礼します」という声とともに次々と従業員たちが部屋に集まってきた。期せずして従業員たちとの顔合わせ会になってしまった。
美味そうな料理を目の前に、それに箸をつけられないというのはちょっとした拷問だ。人が入れ替わり立ち替わり20分ほどかかっただろうか。おかげでせっかくの先付の味はすこしもわからなかったが、しかし、どの顔もやる気に満ちていて腐った表情をしたものが一人もいないことが気分を明るくしてくれた。
従業員の士気は高い。テレビで特集が組まれるほどの理由が少しわかった。
やる気だけではない。それぞれの部門の指導にあたる担当者はスキルが高く、個性的なラインナップである。進取の経営者である井出社長を筆頭に、地元の地誌人情に通ずるマーケティング担当の大塚、自身酒好きで地産の名物に精通する板前の子安、土産物部門とカフェ部門を一手に引き受ける桃山。しかし、もっとも個性的で印象的なのは板長の倉田だろう。
昔やんちゃをしていたであろう強面、笑うと愛嬌がある。胆力を感じさせる一方、包丁を握れば繊細な仕事もする。
スタッフはモチベーションも高く優秀、配置の偏りもない。では、なぜ部門ごとに顧客リピート率の差が生じるのか。
個々の部門は惜しみなく業務改善に力を注ぎ、しかし、それが必ずしも成果につながらない。以前に見たことがあるのだ…これに似たケース。それがなにかは思い出せない…。それがきっと、さっきからひっかかている違和感の正体…。
自分が悩んでいる間にも、井出社長は郷土玩具の小さな起き上がり小法師を取り出して熱弁を振るっている。

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「お子様には必ずこの起き上がり小法師を差し上げています。お食事の際にお渡しするんですがね、まあこんな簡単なおもちゃでも結構みなさん喜ばれて…うれしいですよねオマケがついてくると、やっぱりお子様は…」
オマケ…食玩…。
そうか…アレだ…思い出した。
以前、オペレーションの再構築を引き受けた食玩工場…。あの工場もそれぞれのワークセンターがしゃにむに努力するばかりで、それが全体としての成果に結びついていなかった。
局所的な最適化ばかりを考えて、全体の最適化には少しも考えが及ばず…それぞれのワークセンターは他のワークセンターをまったく無視して生産し…従業員は工場の外のクライアントまでを意識して仕事することはほとんどなかった…。
過剰生産で仕掛かり在庫が増えようがお構いなし…クライアントが何をどのくらい欲しいかを考えて生産しなければ…顧客を意識せずに生産しても、結局、売れない在庫は負債として自分たちに返ってくる…。
顧客の利益…それを実現するための部署間の連携…そうか…。
気がつけば口に運ぼうと持ち上げたサーモンのお造りをじっと見つめていた。
「上山さん…?」
わかった…。
「え…」
悪いクセだ。また、思ったことが口から出てしまった…。
「わかりました、井出社長。これで、三ツ和のリピート率はさらに上昇します。高コスト体質も改善できるし、シフトも効率化できるはずです」
違和感が解消されて気分が軽くなる。舌に味覚が戻ってきた。酒がうまい。サーモンもうまい。
突然、いきおいよく料理を頬張りはじめた自分を見て、井出社長はあっけにとられていた。

翌朝、急ぎ東京から八幡君を呼び寄せる。
OBT業務をスタートさせるのだ。
OBTとは、OBoetakotowo Tsutaeru…「覚えたことを伝える」の略である。ネーミングだけ聞くとまるで思いつきの悪ふざけのようだが、昨日、Oran Manmaで井出社長と大真面目で考えた名前である。
これを基にオペレーションの再構築を始める。
OBTとは何か?
平たく言えば「申し送り」である。ただし、ただの申し送りではない。『覚えたことを、他のスタッフにいかに確実に伝えられるか』ということに力点がおかれ工夫がなされた。
例えば、夕食を担当したスタッフがOBTを実施するとこうなる。
夕食はどんな料理を好まれたか?お酒はたくさん召し上がられたのか?日中はどちらに遊びに出かけられたのか?どのようなお顔をされた方か?…できれば似顔絵まで…能うかぎり専用の用紙に書き込んで、朝食を担当するスタッフに引き継ぐのである。
すると朝食のスタッフはその用紙の内容に基づいてお客様を接遇する。
「昨日はサーモンのお造りをおほめ頂きましたそうで」とか「ずいぶんお酒のほうが進まれたようですね」といったかたちで、コミュニケーションの材料にするのである。そこで、宿側が深酒を気遣って給仕の際にしじみ汁の一杯でも出してくれたとしたら…一見の客でしかない自分の顔や、連れだって来た娘や孫の名前まで仲居さんが覚えていたとしたら…感動することは間違いない。金沢ではよその旅館には泊まらないというお客様も出てくるだろう。
昨日、レストランで感じた違和感…ウェイトレスがお客様のことを『お客様』と呼んだことで感じたほんの小さな違和感を突きつめた結果だ。
三ツ和では宿泊客に対して画一的なサービスしか行われていなかった。どの顧客に対しても一定のお金を頂いて一定のサービスを行う。マニュアルに応じて同じ言葉で接客し、同じ料理を提供してどなたでも『お客様』とお呼びする。
しかし、本当にそれで良いのだろうか。少なくともチェックインの時に宿はお客様のお名前を把握している。土産物屋やレストランで会話を交わし、どんな料理が好みか、今日はどこに遊びに行ってきたのか、数ある金沢の旅館やホテルの中でどうして三ツ和を選んだのか…スタッフの誰かにお話し頂いているかもしれない。
この情報は活用すべきだろう。逆に言えばこの情報をスタッフ間で共有できなかったことが、部門間にこれだけのリピート率の差を生んだ原因かもしれなかった。
少なくとも宿泊客はお名前でお呼びしたいものだ。自己紹介をした人にいつまでたっても名前を覚えてもらえないのは悲しいことだから。
接客業において、お客様が店にマイナスの感情を抱くのはどういったケースか。
様々な店舗でオペレーションを構築してきたなかで、お客様から聞きとった内容は以下のようなものだ。
料理のサーブが遅い…自分の対応を後回しにされた…挨拶がない…などなど。
『自分のことを蔑ろにされた』という経験が、もてなしを受ける側として最悪の記憶になる。
つまり、『自分のことを覚えて貰っていない』、『伝わっていない』ということが、お客様に不快感を与える最大のファクターなのである。逆にいえば『自分のことを覚えてくれている』ということが、お客様が店に好感を持つ最大のファクターとなるのだ。

八幡を三ツ和に常駐させ、自分は一度東京に戻ることに決めた。
OBT推進の責任者は、従業員の人望も厚い板長の倉田を任命する。
ウェブカメラと動画サイト、メールやクラウドを利用した情報のやり取りによって遠隔的にOBTの推進会議の内容を把握し、コンサルの内容を送る予定だ。
まず、お客様と一番濃厚に接触するレストラン『Oran Manma』からコンサルティングを開始する。そこで得たノウハウを土産物屋とカフェに水平展開する計画である。

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