第3話 UTAGEのあと

スクリーンショット 2016-10-18 15.37.26「お客様がお探しみたいだよ」
「あ、はい!少々お待ち下さい」
スツールを蹴って八幡君が立ち上がる。首を伸ばしてキョロキョロと店員を探しているお客様のもとへあわてて駆け寄って行く。
三ツ和に併設のカフェ『茶湯(さゆ)』…ホール片隅のカウンターで八幡君と打ち合わせの真っ最中。彼にはしばらく、茶湯の店員として三ツ和に常駐してもらうことになった。
トリノ・ガーデンの抱えている仕事はひとつではない。同時に複数社のオペレーションを再構築していることもザラだ。そのため自分は東京に戻り、八幡君には三ツ和と当社をつなぐ窓口としての役割を担ってもらう。
今後は板長の倉田を議長にして月数回のOBT推進会議を開催し、その動画をウェブにアップしてもらう。自分はそれを東京でチェックし、それをもとにした次回までのコンサルティングの内容をマーケティング担当の大塚さんに送る。
重要なのはリピーターを獲得すること。三ツ和のファンを増やしていくことだ。
三ツ和のオペレーションを改革する上で最も注目すべき特色はなにか?それは『オーベルジュ』というスタイルだろう。

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オーベルジュとは『宿泊設備を備えたレストラン』のことだ。だから三ツ和の主要なコンテンツはOran Manmaで提供される料理ということになる。
普通のレストランであれば初来店のお客様とコミュニケーションが取れるチャンスは、そのお客様が再来店しないかぎり一回きりだ。ところが三ツ和の場合、宿泊客の朝食の喫食率はほぼ10割、宴会を含めた夕食の喫食率は7〜9割である。
つまり、宿泊客の7〜9割は確実にレストランを2回以上利用する計算になる。
そのうえ、エントランスに位置する土産物屋の『美味(うま)や』、カフェの『茶湯(さゆ)』は宿泊の行きと帰りに必ずお客様の目に入る。利用されることもしばしばである。
三ツ和では高確率でお客様と2〜4回の接点が持つことができる。それだけスタッフ間の情報共有を推し進めるOBTの効果は高くなる。
その日、八幡君と自分はプロジェクト全体の工程表を作成した。トリノ・ガーデンが完全撤退し、三ツ和自身の手で新オペレーションが継続実施されるまでの期間を半年と設定。それまでの顧客リピート率の上昇がこのプロジェクト成功の可否を分け、そのままトリノ・ガーデンの評価ともなる。
井出社長に挨拶をし、八幡君に後事を託す。再び北陸新幹線に飛び乗るとあっという間に東京に着いてしまった。金沢の温泉宿にいたことなど夢のようだ。

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青山のオフィスに帰り着くとちょうど三ツ和マーケティング担当の大塚さんからのメールが着信していた。動画共有サービスへのリンクが貼られている。
リンク先にアクセスすると、なんとせっかちなことにもう第一回のOBT推進会議を開催したとのことだった。
『井出社長らしいな…』
動画にはつい数時間前までいた宿のオールド・ファッションな事務所が映し出されていた。
会議は冒頭から終了まで、ほぼ井出社長がOBTの意義をしゃべり倒しており、従業員はポカンとしてそれを聞いているという有様だった。いや、実に井出社長らしい…。
“井出社長が会議の中心になるのではなく、従業員のほうから『なぜ、OBTを行わなければならないか』という疑問を引き出すようにして下さい。そして、従業員自身に考えさせ回答させるようにして下さい。議長は倉田さんにお任せ下さい”
井出社長はリーダー気質である。自分で動き、新しい手法を探して伝統的な旅館のあり方を次々に改革してきた。ある意味、トップダウンでワンマンなそのやり方が今までは吉と出ていたのだ。
しかし、それが従業員個々の発想と自主性を制限してきたのではないか?結果的として事業部門ごとのリピート率の差となって現れているのではないか?
OBTは事業所で働く従業員すべての頭脳をデータベースとして使うことである。そして、現場で接客する一人一人がそのデータベースをもとに自由度をもっておもてなしをする。自ら判断する主体性を持ったユニットになることだ。
これが実現したとき、三ツ和は上意下達式の単なるピラミッド型組織ではなくなり、経営側の意識が届かず十分に稼働していなかった部門が機能するようになるだろう。
いままで自主性を発揮していた井出社長が、今度はどこまで従業員の自主性を尊重できるようになるかが重要になるということだ。

メール送信…と。
休む間もなく資料をそろえ別件のクライアントの元へ向かう。月に数時間しかない事務所滞在を打ち切る。井出社長に出会えたのはまさに奇跡だろう。この過密スケジュールのなか、ピンポイントに自分のいる時間に事務所を訪れる強運。あの人は『持っている』…それがなんだか知らないが、とにかく『持っている』。次回以降のOBT会議に期待しよう。
事務所のドアをロックした瞬間に頭を切り替える。足早に表参道駅へと向かった。

…四ヶ月後。
ノートパソコンに着信のポップが表示される。
“OBT会議 6月第2週”
大塚さんからだ。動画リンクを開く。

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見慣れたオールド・ファッションな事務所が映る。
「じゃ、OBT会議を始めます」
倉田が号令をかけると、子安が口火を切った。
「前の晩のUTAGEコースのお客様がプリン体を気にされてされてましてね…」
「あー、居られましたね」
「翌朝のだし茶漬けにのっけるイクラをニシンの醤油漬けに替えて差し上げたんですよ。そしたら、いたく喜ばれましてね。これ、夜番のOBTから得た情報でして…」
集まった従業員達から「おー」という歓声があがる。
「備考に書いてあった情報なんですが、こういうの専用に記入欄を設けたほうがいいかな…と思いまして」
「持病の欄ってことですね。あー…なるほどね」
OBT会議を重ねるたびスタッフの積極性は高まっていく。
井出社長の会議への口出しはいまやほとんどなく、Webカメラの後ろに座っているので出席しているのかどうかさえ分からなくなるほどだ。
井出社長はアドバイスをよく守った。あの人がリーダー気質のほかに『持っている』もの…それは『素直さ』だろう。
代わって口数が増えたのは議長の倉田だが、これも次第にしゃべらなくなった。
いまやOBTの主体は完全に従業員だ。自ら率先してリマインド・カードの不要な部分を指摘し、新しい内容を追加するまでになった。

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OBTのための専用の申し送り用紙はリマインド・カードと命名された。
リマインド・カードは朝晩と夜番のあいだを、情報の書き足しを重ねながらキャッチボールされる。宿泊客がリピーターとして訪れるたびにリマインド・カードは循環を重ね、三ツ和はお得意客の情報を把握してゆく。
特に重要視したのは『朝』だ。『夜は宴会、朝食付き』という旅館では当たり前のスタイルは、飲食店に置きかえればリピート率100%ということだ。素晴らしいアドバンテージである。
しかし…例えば夜の宴会で誕生日をスタッフが祝ってくれても、翌朝のスタッフがいそいそと支度作業に没頭していたとしたらどうだろうか?蔑ろにされているとお客様が感じてしまう可能性は大きい。昨夜の思い出も興ざめである。
重要なのは夜の宴会よりも、そのあとにやってくる『朝』なのだ。
朝食のリピート率100%という強力な利点を活かすためにも、夜間の内容を確実に朝のスタッフに申し送りし、分断された業務上の情報をつなぐことが重要というわけだ。
当初、OBT会議の主題は『朝のスタッフが覚えていたらお客様が喜ぶであろう事柄を皆で考える』ことだった。それも出尽くした現在では『夜のスタッフがいかにそれを朝のスタッフに伝えるかを考える』ことに力点が移った。
従業員のあいだで顧客情報の共有は確実に進んでいた。バラバラだった朝番と夜番のスタッフは、OBTによってお客様に対する一体化した努力を始める。
会議において、むやみにダラダラと話し込んで不要なことをメモするのは慎もうということに決定し、朝に伝えられたらお客様がよろこぶであろうことを話題の中心とするよう接客の洗練がなされた。すると、リマインドカードの内容はよりシェイプアップされ、簡略で要領を得たものとなった。
結果、施設の稼働率が100%に近いような繁忙期でも、夜番から朝番へのOBT率は80%を達成するまでになった。
OBT率とはお客様から得た情報をどれだけ次のシフトに伝えられたかという比率だ。当然、あまりに業務が忙しければ有用な情報でも伝え損なうことがある。受け手の把握が追いつかないこともある。
しかし、その状況をくぐり抜け、どんなささいなことでも有用そうな情報を見つけ出して朝に伝える。
それが、最繁忙期でも80%に達したのだ。
スタッフが得たお客様の情報の8割以上が次のシフトに伝わっている。それも翌日のシフトにまで…これは驚異的なことだ。
OBT率の上昇に伴って、大手旅行雑誌の評価ポイントがジリジリと上昇をはじめた。好評はネットを通じて拡散され、さらに三ツ和のリピーターを増やしていく。
レストランに関しては、すでに同業他社との十分な競争力を獲得したといってよかった。今度は、この状態を三ツ和の全事業に拡大しなければならない。
残るは土産物屋とカフェ。宿の入口と出口を担当する部門だ。
事業規模が小さいとはいえ、ここをおろそかにすればレストランで積み上げたお客様の好印象も台なしになってしまう。
オペレーション改革の総仕上げともいえ、ある意味で本丸ともいえた。
6月も末を迎え、自分はまた金沢に乗り込む決意を固めた。

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