第2話:退路は絶たれた

宇都宮パティスリーの会議室に飛び交っていた怒号は一段落し、今度は絶望的な静寂が訪れていた。

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異物混入ゼロ…消費者からすれば当然の要求である。しかし、これほど実現の難しいことはない。

「しかし…まあ」

宇都宮パティスリーの社長が口を開いた。

「カフェレストランツさんとしても、災難でしたね…」

「いえ…」

こちらの立場に配慮されてしまい、藤沢は逆に居心地が悪くなった。

上山は藤沢の隣に座って、まだ一言も発言していない。栃木工場に出向が決まった日、突然オフィスを訪れた上山によって、藤沢ははじめて事件の全容を知らされた。

…数日前、カフェレストランツ・オフィス…

「製造…中止ですか」

藤沢の顔から血の気が引いて行く。

「Kawaii堂様はキャラクターの権利を扱う会社で、食品事業に関してはプロではありません」

つまり、こうした事故に対する免疫がない。処理したこともないクレームに強烈なアレルギーを起こしたKawaii堂首脳部は、一足飛びにハニーモンスターの製造中止を検討し始めていた。

「食品の異物混入が騒がれている折ですからね…タイミングも悪かった。異物混入はゼロに近づけることはできても、ゼロには出来ない…。私からもご説明させて頂いたのですがね…」

「しかし…」

藤沢は緊張で貼りついた唇を引き剥がすように口を開いた。

「なんだってハニーモンスターの苦情が、いきなりKawaii堂パーク本体に届くんでしょうか。商品の問い合わせ先は、カフェ店舗の電話番号を載せているはずですが…」

上山はタブレットを取り出した。「Kawaii堂」で検索をかける。Kawaii堂のオフィシャルページがトップにヒットした。ご丁寧にサイトマップが下に続き、問い合わせ窓口までワンクリックで行ける。

「なるほど…カスタマーはパッケージに印刷されている問い合わせ先なんて、見ちゃいないってことですね」

「いえ、商品の問い合わせ先が外箱にしかないのです」

藤沢はハッと気づく。

「ハニーモンスターは外箱、カード一枚と、個包装の菓子四個で構成されています。カスタマーの必要な要素がカードだけだった場合、お菓子をバラバラに配ってしまう可能性もあります」

「お菓子だけもらった人が…ハニーモンスター…Kawaii堂…と連想したら…」

「クレームの行き着く先は、このオフィシャルページだということです」

藤沢は反論を探した。

俺のせいではない…。リスク対策は十分だったはずだ。少なくとも世間並みではある。同業他社には劣らないはず。俺の手落ちだとでも言いたいのだろうか?では、どこまで気を回せばいいというのか?不可避な事故ではないか。運が悪かっただけだ…。

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視線を落として唇を噛む藤沢。

「まあ…私も調査して初めてわかったことですから」

「調査…?」

クレームが届いて昨日の今日だ。いつ調査する暇があったのか。

「幸い優秀な部下もおります。大手他社より身軽であることが我が社のオペレーショナル・エクセレンスでして」

「…オペレーショナル…?」

突然出てきたテクニカルタームに、藤沢は戸惑う。

「クライアントの出来ないことが出来る。それがプロです」

西脇部長が上山を呼び出した理由を、藤沢は少しだけ理解した。

「…申し訳ありません。藤沢様を差し置いて勝手な調査を」

「いえ…不甲斐ないばかりです。西脇部長が、我が社に事態の収拾を任せておけないと思われたのも当然でしょう」

西脇部長はコスト安からカフェレストランツを推した、Kawaii堂の社内最右翼である。カフェレストランツは、Kawaii堂との取引を通じて飛躍的に業績を伸ばした。今回の件に関して、西脇部長としては裏切られたという気持ちもあるはずだ。

「Kawaii堂様と提携していた食品大手があったとのことですが…御社と取引するにあたって、西脇部長はかなり強引なかたちでその企業と手を切られていますね」

ハニーモンスターがらみの『不祥事』は、西脇部長の進退に直接結びついてしまう。

「西脇様も相当焦られているのでしょう…仕事の依頼を頂きましたのも、今日の今日ですから」

仕事の依頼があり、状況を把握し、調査を行い、この半日のあいだに本来の業務担当を凌ぐほどの情報をつかんでいる。

「よく調べておいでだ…Kawaii堂の内情まで」

上山というこの若い社長、優秀らしい。しかし…。

「状況は、絶望的です」

藤沢は再び視線を下げた。

「正直、どうしたらよいのかわかりません…お恥ずかしい話ですが」

上山は何も答えなかった。その代わり動じた様子もなく、微笑を崩さない。

根拠のない安心感が、再び藤沢の不安を拭った。

俺は騙されているのか…。

「まずは、現場へ」

立ち上がった上山の背中を、藤沢は催眠術にでもかかったように追いかけた。

…栃木工場。配られた資料に目を落としたまま、上山は今だに一言も発さない。藤沢の気持ちは、ふたたび揺らぎはじめた。この男は、本当に信用できるのか。

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「異物混入ゼロ…努力はできます。しかし、安請け合いはできません」

宇都宮パティスリーの社長は生産現場から叩き上げた、いわば食品製造業界における職人ともいえる人物だ。その言葉は、工場の製造工程を熟知した重みに支えられている。

社長がダメだと言った、これはもうダメだ…。各製造工程の責任者たちの表情にあきらめの色が浮かんだ。

「Kawaii堂は譲りませんよ。ハニーモンスターの製造中止を受け入れるのですか」

藤沢も必死に食い下がる。

「我々にとってKawaii堂は、唯一といっていい大口の顧客です。このままでは、ハニーモンスター以外の商品の製造も止められるかもしれません。御社に覚悟はおありでしょうか」

業績悪化、工場閉鎖、リストラ…下手をすれば倒産。会議室にいる全員が同じことを考えていた。やはり退くことはできない。かといって、前に進む手立てもない。

「これは…」

上山が初めて口を開いた。

「なんとか…なるかもしれません」

会議室の全視線が上山に集中した。適当なことを言ったら許さない…黙っていれば引き受けなくてもいい工場中のフラストレーションを、上山は甘んじて引き受けようとしている。藤沢は生きた心地もなかった。

「なんとか…というと?」

宇都宮の社長が、できるだけ穏便に尋ねる。

「仕掛かり在庫や、検品のタイミングを確認していました。異物混入を実質的にゼロにすることは可能かと…」

誰もが言葉を失った。馬鹿にして、ニヤけている者もあった。上山だけが微笑を崩さない。

「皆さんに、何か考えがあるならそちらを優先しましょう。ないのなら、私から提案させていただきます」

会議室はシンと静まり返った。上山がホワイトボードを要求する。呆然として動かない工場の面々を尻目に、藤沢は廊下にあったホワイトボードを引きずってくる。

進もう、退くことができないなら。今は上山を信じるしかない。藤沢が縋るようにしてマーカーを差し出す。上山は力強くそれを受け取ると、ハニーモンスターの製造チャートを一気に描き始めた。

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