第6話:エンディング

ハニーモンスター増産決定…。

新幹線の車内、藤沢はこの事実をどう工場に伝えようかを考えていた。

栃木工場の改革がもたらしたものは、異物混入ゼロだけではなかった。

それは競争上の優位である。

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作業効率の上昇とともに仕掛品は劇的に減少し、製品の出荷が増えた。工場の負債は減少し、売上は増加する。従業員の超勤や無駄な仕入れも減り、低コスト化が進む。

ハニーモンスターは利益率の高い商品に生まれ変わった。そのうえ販売数は順調に伸びている。

ここに至り、Kawaii堂本社はハニーモンスターの食玩キャラクターを軸にパーク事業の拡大を決定。商品の大幅な増産が計画された。

「そこまではいい…」

藤沢はため息をつき、目を閉じる。

「なんて説明したらいいんだ」

ハニーモンスターは大幅な増産が計画され…そして新工場への製造切り替えが提案されたのである。宇都宮パティスリーではない、設備的にもコスト的にも優れている別会社の新工場…。

Kawaii堂本社からの申し出だった。カフェレストランツにとっては命令に近い。

工場側に事前の相談もなかった。宇都宮の社長は事情を知っているのか?

藤沢は、本社の定例会議で配られた資料を眺める。

旧工場のオペレーション…新工場に移植…すでに工場の切り替えありきでハナシが進んでいたのだ。藤沢の脳裏に会議室のありさまが浮かぶ。

会議は冒頭からこのテーマで進んだ。

新工場…どういうことだ?

驚いている藤沢を尻目に、会議はズンズンと進む。敢えて藤沢の積極的な発言を避けているような雰囲気があった。社内でハニーモンスターの製造オペレーションを最も熟知しているのは、彼のはずなのに。

「じゃあ、最後に…なにかあれば…」

皆、藤沢から目をそらす。おずおずと…何か悪いことでもしているように。

社長以下、一刻もはやく会議を打ち切りたいという雰囲気が感じ取れた。

「あ…ない?ないですか…では、次回の日程を…」

「あの…」

藤沢は挙手した。以前の藤沢なら議場の空気を読んで、会議の終了を許しただろう。

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「はい、藤沢くん…」

「いま一度、新工場に最適なオペレーションの研究が必要であると思います。その時間的な余裕がないのなら、工場の切り替えは断念すべきです」

あーあ、面倒くさい…会議室全体がそういう雰囲気に包まれた。

「このまま栃木工場のマニュアルを新工場に移植すれば、異物混入事故はまた必ず起こります」

その件に関しては…後日あらためて…誰かがモゴモゴと発した言葉に、その場にいた全員が曖昧に頷く。強引に会議が打ち切られた。皆、蜘蛛の子を散らすように席を立つ。呆然とした藤沢だけが、ぽつんと会議室に残った。

藤沢も後で知ったことだが、Kawaii堂本社でも似たようなやりとりが交わされていたらしい。そのとき藤沢の立場に立たされていたのは、パーク運営部長の西脇だった。

カフェレストランツでもKawaii堂でも、西脇と藤沢のラインは有名になっていた。

Kawaii堂が、栃木工場に要求する納期や業務改善…そのほとんどは無理難題に近いものだったが…を藤沢は鮮やかに解決した。上山から引き継いだノウハウが藤沢と栃木工場を守っていた。

藤沢がKawaii堂の要求をクリアするたびに、カフェレストランツ導入を推進した西脇の立場は、社内でより確固としたものとなった。結果、彼は藤沢と栃木工場にますます目をかけるようになる。

一方、カフェレストランツにとって、藤沢は扱いづらい存在となっていた。経営陣の頭越しに、クライアントの重役と懇ろになってしまったのだから。

栃木工場のことは、藤沢を通さないとなにひとつ動かない。彼を異動しようとすれば西脇の影がチラチラし、人事的に特別扱いを余儀なくされる。本人の気が付かないあいだに、藤沢はひとつの権力になってしまったのだ。

「ごめん、藤沢さん…ダメだった」

宇都宮パティスリー社長室の前。ドアを開けられずに思い悩んでいた藤沢の携帯に、西脇部長からの電話だった。

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「俺も頑張ったんだけどさ…」

西脇部長はハニーモンスター増産が提議されるようになってから、ずっとそれを据え置くよう食い下がってくれていたのだ。

「カフェレストランツさんのほうから色気出されちゃったらね…もう俺には何も言えないからさ」

カフェレストランツは、ハニーモンスター増産をKawaii堂に確約した。

「まあ…当然といえば当然ですよね」

カフェレストランツにとっては、またとないビジネスチャンスだ。西脇の息のかかった藤沢の存在が煙たいのも無理はない。西脇は新工場導入に反対してきたのだ。

カフェレストランツの色よい回答に、Kawaii堂本社でも増産は既定路線となった。当社を推してきた西脇としては口をつぐまざるを得ない。

「ご尽力いただきまして…はい…ありがとうございました」

誰もいない空間に頭を下げて、藤沢は電話を切った。さて…。

意を決して社長室の扉を開く。

宇都宮パティスリーの社長は、「待っていた」とでもいうように、まっすぐ藤沢の方を向いて座っていた。社長の背中にある窓からは、すでに西日が差し込んでいる。逆光でどんな表情をしているかはわからなかったが、藤沢は雰囲気で察した。

「申し訳…ありませんでした」

「いや…藤沢さんのせいじゃないよ」

宇都宮パティスリーは、ハニーモンスター製造委託の契約打ち切りを正式に告げられた。藤沢の留守中に不意打ちである。なんの対応も取れなかった。西脇部長に相談するいとまもなかった。

藤沢は頭を下げた。工場に非はない。

宇都宮の社長は藤沢のそばまで歩み寄る。そして、戦友にするように手を握り肩を叩いた。

栃木から呼び戻された藤沢は、生産管理と関係のない部署へ異動された。閑職である。

「左遷だな…一種の」

かたちばかり支給されたパソコンの前に座って、型おくれのOSの画面を眺めながら藤沢はひとりボヤく。栃木工場へ出向になったときには、あれほど戻りたいと思っていた本社。いまは包装機の轟音と、カラメルの焦げる匂いが懐かしい。

藤沢の嘆きをよそに新工場は性急に準備がなされ、ついに生産が開始された。無理はほどなく現れた。

新工場では、栃木工場のオペレーションは機能しなかった。むしろ極度に詳細なマニュアルは新任の生産管理担当者を混乱に陥れた。

「なにこれ…倉庫まで32歩って…」

「粘着ローラー30分ごとに使用って…仕事になんないわよ」

パートの女性たちからヒソヒソと不平の声があがる。新工場では人件費削減のため、大量のパート従業員が採用されていた。

生産能力の低い工程を無視して、ハイスペックなオーブンは次々と生地を焼き上げる。大型のミキサーは必要以上に大量のフィリングを製造した。

仕掛りの在庫があふれた。生産調整すれば、こんどは反動で品薄になる。カフェレストランツから納品の催促が飛び、慌てた調達担当者はむやみに材料を発注する。仕入高が異常に増え、使用期限が切れた材料は仕方なく廃棄された。

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コストは旧工場よりも上昇し、生産は目標に届かない。

「まあ、こうなるよね…」

新工場の惨状を聞いて、藤沢はつぶやく。

実施されているオペレーションは、旧工場に最適化されているのだから…。

機械やツールのレイアウトも違う。従業員たちはひととおりの研修しか受けていないパートタイマーばかり…つまり、素人だ。手も遅い、気も利かない。

やがて、マニュアルの手落ちが相次ぎ、検品で弾かれる異物混入商品が激増した。

藤沢は突然に呼び出された。カフェレストランツの運営会議だ。

「あの…ご用でしょうか」

閑職に追いやられた藤沢に、用などあるはずはない。

「いや…骨休めも十分かと思ってね」

重役のひとりが引きつった笑顔を見せた。

骨休め…?

「藤沢さんには…まあ…そろそろ生産管理に戻ってもらってさ…」

「前みたいに、バリバリやってもらいたいんだ」

「そういう声がね…社内に多くて…ねえ」

重役たちがニコニコと青筋を立てて頷きあう。

「新工場の面倒を見てやって欲しいんだよ」

ああ…そういうことか。藤沢は合点した。

問題が起こったのだ。だから、彼に火を消せといっている。

カフェ店舗に異物混入の通報が寄せられたのは、その日の午前だった。

この事故はKawaii堂が感知することなく、社内で処理された。しかし、異物混入ゼロを確立したと思い込んでいたカフェレストランツ首脳陣に、強烈なショックを与えた。

「早急にオペレーションを建て直してもらいたい」

「時間がかかります」

「そこを藤沢さんの手腕で…」

「ちょっとしたマニュアルの変更では追いつきません。新工場のオペレーションを根底から分析する必要があります」

笑顔は崩さずないが、重役たちの態度の端々にはイライラが現れていた。

「藤沢さんもわかっているでしょう」

「こんど異物混入が発覚したら、本当に生産中止になるかもしれない」

「宇都宮パティスリーと再契約するおつもりは?」

回答のわかっている質問を、藤沢は投げかける。

「宇都宮パティスリーの設備では増産に対応できない」

「目標販売数を下回ったら、我々がKwaii堂に補償するんだよ」

つまり、二度と異物混入品は出せない、工場を止めることもできない、対応に時間をかけることもできない…ということだ。

「しかし、新工場には人的資源が不足しています。熟練の職人もおりません。どんなオペレーションを組んでも、実施できる人材がいなければ異物混入は必ず起こります」

「土台、この事業が失敗したらウチの存続自体も危うい…」

「藤沢さんも我々も、再就職先を探すことになる」

また貧乏クジか…。

「業務命令ですか」

「そう捉えてもらっても構いません」

断ることはできない。藤沢は観念する。

「わかりました」

議場にはホッとした空気が漂う。

「よろしくたのむよ」

重役のひとりが、満面の笑顔で藤沢の手を握った。

辞令は翌日に出た。藤沢は生産管理に返り咲き、すぐさま新工場へ出向となった。

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藤沢は強行軍で新オペレーションを完成させた。死力を尽くしたが、やはり上山のようにうまくはいかない。時間も足りない、人材も足りない。

藤沢は栃木工場の『神様』になったつもりでいた。あの緻密な栃木工場を、完全にコントロール下に置いた万能感。

『神様になって下さい。この工場の神様に』

上山の残した課題を、藤沢は達成したつもりになっていた。

実際、一度オペレーショナル・エクセレンスに達した工場を維持するには、藤沢のスキルは十分だった。同業他社の衛生管理責任者と比べても、藤沢の能力は頭ひとつ抜けていた。

十分な時間と人材が与えられれば、上山と同等のオペレーションを構築することもできただろう。

しかし…やはり引き受けるべきではなかった。藤沢は神ならぬ我が身の力量不足を思い知った。自分なら何とかできるかも…無意識にそんなことを考えて、うぬ惚れていたのかもしれない。

見えた勝負だった。重役たちは失敗の責任を藤沢に押し付けるだろう。

助けてくれ…。藤沢は上山の陰にすがった。

隣に立って、ニコニコと笑いながら「大丈夫ですよ」と言って欲しかった。

しかし、上山は現れない…。

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完璧なマニュアルが完成した。会社に催促され、「だいじょうぶだ、いけるだろう…」と自分に言い聞かせながらつくった、欺瞞に満ちたマニュアル。現実の人間の能力では実施不可能な神のオペレーション。

しかし与えられた条件で、これ以上のものがどうやって作れただろう。

絶望的な気持ちの藤沢をよそに、新オペレーションの運用は開始された。

しばらくして仕掛かりが減少し、在庫の出荷が増えはじめた。カフェレストランツの重役たちは、手を叩いて藤沢を褒めちぎる。だが、藤沢の暗澹たる表情は変わらなかった。

破綻は一気に起こった。高度な衛生管理の要求に、パートタイマーが追いつかなくなったのだ。離職者が相次ぐ。それでも藤沢はシフトをやりくりし、マニュアルの改善を続ける。

そして、ついに工場から白旗が揚がった。従業員の負担は限界を超えていた。タイムカードを持って労基署に駆け込まれることを、工場側はビクビク恐れる始末だった。

新工場は生産を断念。受託契約の解除を申し入れてきた。

責任の所在がKawaii堂とカフェレストランツ、新工場の間を猛スピードで駆けめぐる。関係者が次々と処分されていった。

しかし、不思議と藤沢に動揺はなかった。人事を尽くして、これが天命なら受け入れよう。そういう諦めの境地にあった。

藤沢の内線が鳴る。役員室に呼び出し。同僚たちは藤沢を横目で見ながら、ひそひそと噂し合う。

さて…仕事探さなきゃな。役員室の前に立って、藤沢はそんなことを考える。

「失礼します」

役員室に入ると、懐かしい声がした。

「ご無沙汰してます」

藤沢は目を疑った。宇都宮パティスリーの社長がソファーで笑っている。

「社長…あの…これは…?」

「また一緒に仕事ができることになりましたよ、藤沢さん」

新工場の契約解除までの期間、カフェレストランツは活路を探していた。しかし、高度な衛生管理の要求、過大な生産目標に委託先が見つからない。そこに、宇都宮パティスリーが手を挙げた。

「うちなら設備も整ってるから。すぐに生産再開できます」

「しかし…社長」

「はい」

「御社は衛生管理は十分ですが…あの…正直なところ、生産目標を達成できるだけの能力はないはずです」

「なんとか、してくれるんでしょう?」

「え?」

宇都宮の社長の隣に座っていたカフェレストランツの役員が、不安そうに口を開く。

「藤沢さんなら、なんとかしてくれるはずだとおっしゃるんだ…社長が」

『生産管理の責任者に藤沢氏』

宇都宮パティスリーが提示した再契約の条件だった。

「失敗できないよ、藤沢さん…お互いに崖っぷちだ」

「社長…」

助けてくれたのだ…これでカフェレストランツは藤沢の責任を問うことはできなくなる。少なくとも解雇はない。

「ありがとうございます!」

藤沢は頭を下げた。

数日後、藤沢は再び栃木工場にいた。厳しい生産目標に苦闘の毎日が待っていたが、絶望を感じたことはない。今度こそ『神様』になれる。そういう予感が藤沢を包んでいた。

常に工場全体に目を配り、過負荷も生産ラインの非効率も許さない。不断にオペレーションを改善し続ける。新工場の失敗を経て、藤沢の仕事はさらに緻密さを増した。

藤沢は欠くべからざる工場の一部へと変わり、一塊のオペレーションと化していた。もはや、上山といえども代わりは務まらない。

上山とともにした仕事が藤沢を変え、そして彼はある意味で上山を超えた。

もはや工場は藤沢の手足であった、材料倉庫から出荷工程まで彼の神経が通っているかのごとく。あらゆる異変を察知し、障害を取り除き、工場の業務は淀みなく流れた。

工場の『神様』を育てる。案外ここまでが、上山の計画だったのかもしれない。

この四半期で、宇都宮パティスリーのハニーモンスター生産高は、カフェレストランツの課した生産目標を突破。

藤沢はオペレーショナル・エクセレンスに達した。

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