第4話: 近くて遠い島 後編

「でも…カッコわるいよ」
大貫がつぶやくと、経営幹部達の表情が輝きを増した。
八幡は落胆する。会議冒頭からの熱弁が徒労に終わったことが判明したからだ。
『カッコわるい』
あらゆる数字とロジックを覆してしまう、魔法の言葉だった。
この言葉が飛び出すとサムライトーキョー経営陣は、なにが『カッコわるく』、なにが『カッコいい』のかについて3〜4時間は議論を続ける。
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大貫をはじめ経営幹部達は、クロサワオーナーの声かけで集まったアーティスト中心のメンバーである。数字とロジックで説得されるより『カッコわるい』のほうが彼らにはひびくのだ。
トリノ・ガーデンの本格的なテコ入れによって、入店待ちの時間は短くなった。しかし、ここまでこぎ着けるのに最も大変だったのは、個々の改善を経営陣に承知させることだった。
『カッコいい』か『カッコよくない』か…創業期はまさにそこが問題で、彼らはそれによって集客を伸ばし、成功した。
だが、そうしたことで成長できた時期は終わろうとしている。次はいかに効率を求めるかが重要なテーマである。より洗練されたかたちに業態を変えていかなければこれ以上の成長はない。上山も八幡もそう考えていた。
上山が立ち上がる。
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「このサムライトーキョーはコンセプト重視のお店です。それが一番重要なことは間違いありません。しかしですね…経営の皆様のアイディア実現は、末端の従業員が担っています。彼らは鎧を着て店内を走り回り、時代劇のような古めかしい言葉遣いでお客様を案内し、オーダーをとっています。正直、スタッフの時給も労働条件に見合っているとは思えません。店舗拡大してからはパートの欠勤も増えています。過負荷がかかっていると申し上げざるを…」
「過負荷ですって!」
大貫が上山の言葉を遮った。
「この程度の忙しさ、オープン当初に比べれば大したことないでしょ。あたしだってホールに立ったんだから。上山さんだってその当時のことはよく知っているでしょう。数字で煙に巻こうったってそうはいきませんから。三階のこのシマがどれほど遠いっていうの。できる、できる!できます!」
大貫を含め、経営陣はみなホールに立った経験があった。『オープン当初の殺人的な忙しさを乗り切った!』…そのことが彼女に従業員に対する容赦のなさと、ある奇妙な自信を与えていた。
会議室に沈黙が訪れた。大貫がこうなってしまうともう一歩も引かないことを、付き合いの長い経営幹部はみな知っていた。
ピンと張りつめた空気を破るように、ドアをノックする音が響く。
「はい、どうぞぉ」
クロサワが答えるとドアが開き、鎧武者が立っている。
「常陸明善(ひたちあきよし)様、ご来店されました」
「あ、来た?」
大貫部長が立ち上がる。
「いったん抜けても大丈夫ですか?」
「常陸ちゃん、来たんじゃしょうがないよね…」
クロサワが許可すると、鎧武者に連れられて大貫が退席した。
会議室の空気が一気に弛緩する。
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常陸明善…テレビや映画で活躍しているアクション俳優である。
サムライトーキョーには、タレントや役者の卵のような人々が多く採用されていた。時給は安かったが業界関係者が頻繁に来店し、大貫部長が芸能プロダクションに人脈を持っていたためコネクションを求めて若者が集まっていた。
実際、何人かの従業員がテレビタレントになって、サムライトーキョーと自らの出世神話を世に吹聴していた。
その代表格が常陸明義である。サムライトーキョーにとってはおろそかにできない、いわば広告塔であった。彼が来店すると、大貫が出て行ってご接待するのがお決まりになっている。
「あの…上山さんさ」
やや疲れた表情のクロサワが、上山に話しかける。
「やっぱり、スタッフの待遇に問題アリってことなのかな…」
「そうですね…」
八幡も深く頷く。
八幡と上山は、従業員のオーバーワークについて確信を持っていた。
従業員たちの前で、上山はよく八幡を怒鳴りつけた。
もちろん演技である。しかし、そうすることで八幡には同情が集まった。同情は同類意識に変わる。タレント志望の若い従業員たちは、人生自体が苦境に立たされていたから。
ラテアート担当の秋田などは、真っ先に八幡になついてしまった。いまや若い従業員の兄貴分として八幡は溶け込んでいる。彼らの業務上の悩みを、店の近くの安居酒屋で聞くことも多くなった。
しかし、その居酒屋の領収書と会話の内容は、もれなく上山の手元に集まっていたのである。八幡はパート従業員に混じって苦しみを分かち合いながら、悪く言えばスパイの役割を演じていた。
だから八幡は…上山を呼びたくなかったのだ。
演技であるとわかっているとはいえ、頻繁に怒られたりけなされたりするのは気持ちの良いものではない。純真な若者をだましていることに良心の呵責を感じてもいた。償いとして、八幡は従業員達の悩み相談に全力で応えた。
そうした情報収集の結果、一番立場の弱いホールのパート従業員に最も負荷がかかっていることがわかってきた。
上山が話を続ける。
「サムライトーキョーは海外にもその名が轟く有名店です。ホール拡張も話題になりましたから、来店者数はまだ増えることが予想されます」
「うれしいことだね」
「しかし、このまま来店者数が伸びれば、ホールの人手不足は致命的な状態になるかもしれません。特に低賃金での過負荷状態をこのままにしておけば、従業員の確保も難しくなるでしょう」
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クロサワは少し考え込み、腕を組んでうなずいた。
「置きなよ…」
「え…」
何を…?八幡は身を乗りだす。
「ステーションひとつでみんな楽になるんでしょ。…いいよ」
会議室に集まった幹部たちの顔が青ざめていた。
大貫のいないところで勝手にそんなことを決めて…知らないぞ…。
口にしなくても、お互いが考えている事はすぐにわかった。
「仕方ないよ…。大貫ちゃんの手前言えなかったけどさ…働いている人あってのお店だもんね」
「ご理解頂き、ありがとうございます!」
八幡が頭を下げる。
「ただ…現行、人員の補充に困っているわけではないから、従業員の時給アップは据え置くことにしたい。渋いようだけど…」
「かしこまりました」
上山も続いて頭を下げた。
「大貫ちゃんには…まあ、僕から言っとくよ」
クロサワは小声でつぶやくと、表情を引きつらせながら笑った。
会議が終了し、幹部たちの一団がぞろぞろと店舗に出てくる。
ちょうど席を立った常陸明善と大貫が、二人で話をしているところだった。
会釈しながら一団が後ろを通り過ぎる。店員時代からの仲良しなのか、フランクに手を振りあう者もいた。
しかし、このあとオーナー室で起こるであろう惨劇のことを思うと、八幡は気が重かった。幹部たちの表情にも緊張感がみなぎっている。
常陸が大貫に深々と頭を下げた。一瞬、店中のスタッフの視線がそこに集中する。成功者のそうした姿が、サムライトーキョーの出世神話を事実として補強していた。
『いつかは自分も…』
若いスタッフたちの野心を利用することによって、この店は成り立っている。
この特異な構造に上山は一抹の危惧を覚えた。

「辞めさせていただきます」
予想通り、オーナー室では修羅場が展開していた。
自分の留守中にステーションの設置が決定した。このことに激怒した大貫は退職願をオーナーに叩きつけた。
「まあまあ、大貫ちゃん…ここはこのクロサワに免じてひとつさ…」
大貫が退職すればパート従業員の確保に支障が出る。
泣きだす大貫を夜どおしなだめたり、なぐさめたり…。彼女がようやく引き下がったのは始発電車が動き出した頃だった。
オーナー室から出てきた大貫の目は、泣きはらし真っ赤に血走っている。
このままにはしておかない…。
決意した彼女は、リノリウムの床を鋭く響かせて歩き出した。

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