第5話: 夢の跡 前編

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三階フロアの中ほど、壁際の千手観音のとなり。
サムライトーキョーにステーションが導入された。
全体が黒く塗られ、目立たない位置に慎ましく設置されている。
違和感を訴えるものは従業員にはいなかったし、お得意様へのヒアリングでも印象に残るような回答は見られなかった。オーナーも店の雰囲気を壊すようなモノではないと判断したが、大貫部長だけはオフィスへの通路を遠回りして、自分の視界に入らないようにしているようだった。
ひっそりと導入されたこのステーションであったが、絶大な効果を発揮した。毎時間あたりのスタッフの移動歩数は激減。ホール全体に余裕が生まれた。入店からオーダー、サーブに至る時間に短縮が見られ、お客様を待たせるということがない。回転率に向上が見られ、入店待ちの行列はさらに短くなる。エントランスの液晶モニターに、20分以上の待ち時間が表示されることはほとんどなくなった。
「おはようございまーす」
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出勤してきた八幡が、従業員のロッカー室に足を踏み入れる。
「おはようございます!」
談笑に興じていたホールスタッフたちが、一斉に挨拶を返してくる。役者志望の青年たちは声が大きい。最初の頃は挨拶するたびにびっくりしていた。
ところが今日は…八幡は違和感を覚える。…妙におとなしい。いつもであれば、ガラス窓がビリビリと震えそうなぐらいの挨拶が返ってくるはずだ。
「なんか…今日、ヒト少なくない?」
「そーいえば、そうっすね」
スタッフの一人が、いまさら気がついたというようにロッカー室を見回した。八幡は四階に駆け上がる。
いつもなら、板前姿でとっくに仕込みを始めているはずの秋田がキッチンにいない。オフィスに駆け込んでPCを立ち上げる。本日の出勤データを抽出すると、半数以上のパートスタッフが未出勤だった。
「八幡くん…」
上山が珍しく深刻な表情で近づいてきた。

「誰とも連絡が取れない!?」
従業員休憩室の前、八幡の悲痛な声が響く。
「シフトに入ってるパートスタッフが、半数以上出勤してこない。連絡も取れない」
「どういうことです」
「こっちが聞きたいよ…。昨日までに何か変わったことは?トラブルとか」
「ないですよ」
「だよね」
「ホールの雰囲気も良くなってきたところですから。ただ…」
八幡が口ごもる。上山が同意するかのように頷く。
「大貫部長…」
うめくように八幡が続けると、上山が眉間にしわを寄せた。
「八幡くんが出勤してくるちょっと前に、今朝のこの状況をオーナーに報告したんだ。そしたら…」
クロサワと上山の見解は一致をみた。
『この一件の黒幕は、大貫部長ではないか…』
想像通りでないことを願うんだがね…と前置きして、オーナーは話しだした。
大貫部長は、パートスタッフに関しては人事担当者以上の権限を握っている。彼女が大手の芸能プロダクションに、強力なコネクションを持っているためだ。これを目当てに安い労働力が集まってくることが、サムライトーキョーの高い利益率を支えていた。
大貫もそれがわかっているから、パートスタッフの面倒はよく見てやる。オーディションなどでどうしてもシフトを変えたいスタッフには、便宜を図ってやることもしばしばだった。
最近では休みが欲しいスタッフが、八幡を飛び越えて大貫に相談に行ってしまうケースも多く、トリノ・ガーデンとしても問題視していた。
だが、こういった歪みを一番苦々しく思っていたのは、ほかならぬクロサワオーナーだったのである。
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大貫は空間デザイナーとしては優秀だが、あまりにも妥協を知らない。生まれつきのその性格が彼女を有能なアーティストたらしめていたが、店の経営に回ったあたりからオーナーにとって煙たい存在になり始めていた。
なにしろ、店内で使う灰皿ひとつから予備の電球まで、彼女を通さずには決められない。オーナーの判断したことも、気にいらなければ泣いてわめいて大騒ぎする。最後は辞表騒ぎになるが、彼女が在籍していることで生じる人事的・広報的なメリットを考えると『どうぞお辞めください』ということができなかった。
やがてオーナーが把握していないような店内の情報も、大貫に集まることになった。経営幹部の中には、クロサワはお飾りで大貫が実質的なオーナーだと考える者も現れ始めていた。大貫の存在が、クロサワオーナーの存在を超え始めたのだ。
「僕や八幡くんは…つまり、トリノ・ガーデンは…大貫部長の逆鱗に触れてしまったんだ」
「ステーションの一件ですね」
「うん」
「パートのスタッフが出勤しないように、大貫部長が手を回したって事ですか」
「オーナーはその可能性もあると言っていた。正直、僕も疑ってる」
「だからって…店を営業不能に追い込んだら自分たちが損するじゃないですか…店側が」
おいおい…という表情で、上山が苦笑いする。
「契約の内容…ちゃんと覚えてるか?」
「あ…」
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八幡は思い出す。店の営業時間中に損失が出た場合、トリノ・ガーデンがこれを補償しなければならない。
店の営業が止まり、仮にその状態が何日も続くようなことになったら…。補償額は莫大なものになる。トリノ・ガーデンは存亡の危機である。
サムライトーキョーは経済的に無傷の状態でいられる。多少看板に傷はつくかもしれないが、大貫部長の気に入らないトリノ・ガーデンだけを追い払うことができるというわけだ。
「スタッフを集めて来ます。住所の近いやつから片っ端に」
店の営業を止めるわけにはいかない…八幡が立ち上がる。
「そうしてくれ、ホールは僕に任せて」
「繁忙ピークの時間には間に合うように、頭数をそろえます」
八幡は駆け出していく。
「…よし」
上山は気合を入れなおすと、鎧兜のスペアを探しに備品倉庫に向かった。

「うん、うん…ホント?悪いね、休みのところ…うん、特別時給にさせてもらうから。代わりの休みは今度のシフト調整で埋め合わせするんで…はい…じゃあ、すぐ向かってくれる?ありがとう…よろしく!」
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通話を終了し、八幡はため息をつく。一斉送信メールで出勤が可能なスタッフを探したところ、何人かから反応があった。
直接アパートを訪ねたスタッフもいたが、軒並み留守にしていた。
居留守かもしれないけど…。
着信履歴を見ながら、八幡は考える。
出勤を承諾してくれたスタッフ…彼らにはある共通点があった。それは曖昧で八幡は明確な言葉を見つけられない。しかし、そこに答えがあるような気がした。
落ち着け…落ち着け…。
はやる気持ちを抑え、八幡は目を閉じる。路肩に停めた車内、シュッ…シュッ…と追い越していく自動車の風切り音だけが聞こえた。
彼らは…おっとりしていて…ガツガツしたところがない…。コスプレイヤーとか、武将マニアとか、時代劇好きとか…ちょっとオタクっぽくて…。それから…声が小さい…侍みたいなしゃべり方が苦手で…そこは僕と同じだ。
不器用な彼らが自分と重なって、八幡は少し苦笑いする。
唐突にハッと…八幡は気がついた。
役者志望でも、俳優志望でもない…。
彼らは一般人だ。サムライトーキョーに興味があっただけの…役者のタマゴでもなんでもない…。
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メモを取り出す。何度コールしても電話に出ないスタッフをリストアップした。…役者志望の青年たちばかりだ。
八幡はメッセージアプリを開く。
なぜ、役者志望の面々が出勤に応じないのか…それはわからなかったが、真相には近づいた気がする。
秋田のIDを探してメッセージを入れると、すぐに“既読”がついた。
お人好しだな…。
八幡は自分のことを棚に上げて微笑すると、すぐさまその“既読”について指摘する。
“メッセージ、見てるんだよね?電話、出てくんないかな”
まもなく、秋田からアプリの無料通話が着信した。

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