第1話:神様じゃあるまいし
「異物?入るに決まってるでしょう!」
「そういう前提で仕事されちゃ困るんです」
宇都宮パティスリーの栃木工場。会議室に怒号が響く。カフェレストランツ社員の藤沢は、この問題に対応すべく常駐で栃木工場に出向していた。これから毎日こんなやりとりが続くのかと思うと、胃に痛みを覚える。
「顔しか出てない全身タイツみたいな作業着きて、マスクしてグローブして腕の毛全部剃って、それでも入るんですよ!」
「検品でひっかけたものは全部ラインから弾きます、サボってません」
「でも、流通した商品の中から異物が発見されたのは確かなわけですから」
「そういうクレームは、今までもあったわけでしょう」
「なんで今回に限って、工場がワリを食わされるんですか!」
藤沢に各ワークセンターの責任者が食ってかかる。宇都宮パティスリーの社長も止めに入っているが抑えきれない。藤沢が助けを求めるように、ちらりと上山を振り返った。トリノ・ガーデン社長の上山二郎は、じっと考え込んだまま動かない。
…数日前…
悪夢のような一報がもたらされたのは、藤沢がいつもより早めに昼食をとろうと席を立ったその時だった。
「Kawaii堂の西脇部長からお電話です。」
「西脇さん?」
Kawaii堂キャラクター・テーマパークは、ゲーム企業のアミューズメント施設。カフェレストランツ株式会社は、そのレストラン運営を委託で任せられている。西脇はKawaii堂パークの運営部長で、藤沢からすれば自社クライアントの重職ということになる。
「藤沢さん?」
「西脇部長、直接のお電話なんてお珍しい。どうされたんですか?」
「もう聞いてるよね」
西脇の口調に、いらだちのようなものが感じられた。
「は…あの…どのような」
「ハニーモンスター」
「あ…いえ…、あの…ハニーモンスターがどうされたんですか?」
ハニーモンスターは、カフェレストランツが宇都宮パティスリーに生産を委託している食玩である。Kawaii堂キャラクター・テーマパーク内での限定販売商品だ。ソーシャルゲームのキャラクターが描かれたカードが入っていて、アーケード機にセットすると対戦形式で遊べる。ハニーモンスターには、ここでしか手に入らないプレミアム・カードが入っている。この商品だけで年商六千万円を稼ぐ。
「異物…混入」
「…え!」
西脇部長が不機嫌に言い放った。
「異物混入で世間が大騒ぎしているのは、知ってるよね…」
「あ…その…申し訳ございません」
「君は生産管理の責任者だろ!どういうことか説明しろ!」
「何が混入していたのか、その…お聞きしてもよろしいでしょうか」
「毛だよ…毛!」
髪の毛か…藤沢は内心そう思った。実際のところよくある話だ。
大手ハンバーガーチェーンをはじめ、食品への異物混入が相次いで報じられている。日本中が神経質になっているが、小売業ではどうしても起きてしまう日常的なリスクだ。決して珍しい事件ではない。
こうしたリスクに対しては各社マニュアルが整備されていて、例えばカフェレストランツではカスタマーからの通報後、四時間以内にルートマンが訪問してお詫び、エラー商品を回収する手はずになっている。異物混入した商品の写真がSNSに投稿されたら、あっという間に問題が拡大してしまう。迅速な対応でトラブルの芽をつぶすのだ。
しかし、なぜこういったクレームがカフェ店舗から上がって来るのではなく、パーク側事務所から降ってくるのか。商品に関する問い合わせ先は店舗になっているはずだが…。
「なぜ黙っている。どうして毛などが入り込むんだ!こんなのは初めてのケースだ。どうしてくれるのかと聞いてるんだよ!」
「すぐに…対応を考えます」
「今後、絶対に起きない体制にするんだ」
「今後、絶対にですか…」
「異物混入ゼロだ」
想像力の奪われる言葉だった。藤沢の頭の中は真っ白になる。
消費者からすれば当たり前に聞こえるが、『異物混入ゼロ』というのは相当な無理難題だった。
『交通事故、ゼロにして下さい』、という要求に似ている。無理だ。車がある限り必ず交通事故は起こる。自動車の生産を止め、運転を禁止し、国民が物流の利益をあきらめればハナシは別だが。
異物混入で話題の大手ハンバーガーチェーンは、実のところ世界最高水準の衛生管理を施している。例えば、調理場のゴミ箱にまでセンサーが付けられている店舗がある。何の食材が何キロ捨てられたかリアルタイムで把握し、店舗で使う資材以外のゴミ…つまり、異物が発生しないかを常に監視している。
包装袋ひとつとっても、サーブする商品ごとに色から仕様まですべて決められている。商品と包材が一対一で対応していれば、妙なものが混入していた場合、すぐに見つけることができる。これも異物の混入を防ぐための工夫である。ここまで徹底した衛生管理を行っているチェーンは、他にはない。
…しかし、そういった企業ですら異物混入は起こる。
異物混入ゼロ?…神様じゃあるまいし。
気持ちを飲み込んで、藤沢はひたすら平身低頭して電話を切った。
翌日には、もう藤沢の栃木出向が決まっていた。問題を完全に解決しなければ、帰って来られる見込みはない。
憤りを覚えながら、藤沢は机の整理をはじめた。まもなくこのオフィスから藤沢のデスクはなくなる。自分になんの落ち度があったというのだろう…衛生管理のオペレーションも危機対応も、同業他社の水準に比べてなんら劣っているとは思えない。
同僚たちは、腫れ物に触れるようにして藤沢に接する。いつもよりはりつめたオフィスの空気…気遣わしげな空気を、内線電話の呼び出し音が破った。
「はい…カフェレストランツ、藤沢です」
「受付です。トリノ・ガーデンの上山様がこられてるんですが」
「上山さん…?アポイントはとられてますか」
「さあ…ただ西脇様からのご紹介ということで」
「西脇さん…の?」
聞きたくない名前を聞いてしまった。出向を前に、またぞろ面倒ごとだろうか。
「すぐに行きます」
電話を切って、受付に向かうと一人の青年が立っていた。藤沢に名刺を差し出す。
「トリノ・ガーデンの上山です。西脇様からのご依頼で参りました」
名刺には『代表取締役』とある。若いし、とても社長には見えないが…。
しかし、西脇部長の紹介とあれば無下にもできない。
「あの、どういったご用件で」
「栃木の工場に同行させて頂きます」
「え?」
「藤沢様と宇都宮パティスリーの工場に参りまして、御社製品の製造工程を見直させて頂きます」
出し抜けの申し出にぽかんとしてしまう藤沢だったが、経緯の説明を求める前に、上山が勢いよく頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
勢いにつられて、藤沢も頭を下げてしまう。
「え…あ、よろしくお願いします」
顔をあげると、上山はニコニコと笑っている。裏のない、自信ありげな笑顔。
頼りなく不安で仕方がなかった藤沢の気持ちに、少しだけ安心が生じた。
「とにかく中へ…お話をお聞きします」
相手はアポなしの初対面だ。印象にだまされまい…と、心を引き締めて、藤沢は上山を事務所に招き入れた。